呼吸するように本を

「・・・あ、またあ~~!?」ということはこのところなかったのですが。いろんなペース配分考えるうえで、精神衛生上(?)許容範囲を超える本を置かないことにしていたのです。読みかけの何冊かを終えるまでは・・・と。しかしながらやっちゃったんですね、ええ(笑)

久しぶりにご近所の本屋さんに行って、買おうかどうしようかと思った本があったんです。後日、再び行きまして、その本はやめたんで帰ろうとした。そのときにふと目にはいった一冊の本。ページをめくって目次をみてちょっと驚きました。・・・自分が関心を寄せている事柄にふれていたから。最近、何かに出くわすときはいつもこんな感じです。

帯文をみるかぎり、各方面で話題になっているもののようです。気づいてなかったな・・・『ぼくには数字が風景に見える』(ダニエル・タメット 著 講談社

ちょっぴり読みましたが、はやる心をおさえながらじっくりみていこうと思います。

読書週間などもある時期かな?でも、読まない人もいますよね。・・・私も読書家といえるほど読まないし、難しい本を知っているわけでもありません。ただ、本がすきです。役立てようと思って読むのじゃなく、すきだからふれる。手ざわりとかインクの匂いとか、活字のぬくもり。画集や写真集にしてもそうだけど、つくった人たちのこだわりが伝わってくる感じがすきなんです。職人やなあって。

読書っていうとすごく敷居が高いもののように感じることもあるかもしれませんが、どこからはいっても自由なんだって気がします。絵本、児童書、エッセイ・・・興味が向いたものからでかまわないと。そこから世界を広げるもよし、別方向に進むもよし。本から得るものは大きいと思うけど、そうじゃないことから得るものもたくさん。

まんがから学ぶこともあると思うのです。現実世界だとわざとらしい、とか青くさい、とかいわれるようなことでも説得力がある。本当はそんな風にありたいと思っていても、現実では浮いてしまうからできない人が多いだけなんじゃないかな。そのあたり、私は時代劇も共通してると感じます。

ある俳優さんが言ってらしたんです。“現代劇だと浮いてしまうような台詞のなかから真に大切な、忘れてしまっていることを思い出してほしい”・・・ほんとうにそうだと思いました。

本を読まなくても生きていくことはできるかもしれない。けれど本を読むことで実際には会えない人との話ができて、知らない世界がみえてくることもあるかもしれないよ。それにはすこし、根気や忍耐が必要になると思うけど。

人間嫌いかもしれないって怯えてた私が完全に心を閉ざさずにすんだのは本のおかげかもしれません。まんがもたくさん読みましたよ(笑)いろんな本を読んで、いろんなことに首突っ込んだおかげで面白がってもらえてるみたい。もちろん読んでてしんどいな~って思うときもあるし、やめちゃうこともある。・・・ほかのことにしても、そうです。はなっからうまくいかなくっても、途中で失敗しちゃってもいいんです。そこから何かつかめることもある。

いまは本がからだの一部みたいな感じかな?物事に対するときも、なんとなく力が抜けるようになってきました。・・・やっぱり本は、私からはずせないなあ。

あなたにとっての本が、どのような位置にあるかは分かりませんが、ふれることで違うなにかに気づくきっかけにはなる、かも??