素直でいたいから

・・・あなたは人付き合いをどう感じていますか?じぶんのことをどう思っていますか?

何を大切におもうかは、人によってちがうでしょう。・・・わたし?いっぱいあるけど・・・いまは、じぶんのこころがいちばんだいじかな。人付き合いは下手です。でも、関わりたくないと思っている訳ではないのです。あえて言うならたぶん・・・距離をはかるのが苦手なのかな。

広く浅く、のほうがいいのか、なまじ本音を語ると馬鹿だと笑われるのか。心地のいい集団のなかだけで過ごすのか・・・・・・感覚的に、生理的にどうしてもダメな相手もいる。けれどできるかぎりながくつながりをもちたいと、このごろは思います。

去年から公私にわたってじわっとダメージがきてました。お世話になった出版社が破産という事態になったため、流通が止まってしまい、動向を追っているところです。本は存在します。ですがどうながれるか定かではありません。関係各位は尽力してくださっていると思うのでこちらはこちらでやれることをやるまでです。・・・以前よりもへこみかたが少なくてすんでいるのは、「書く」というはたらきがからだでやれるから。

メールもブログもりっぱな表現手法です。・・・ただ、わたしはいまも基本は手紙です。筆記具を用いた手書きです。これがなかったら、息ができなくなる。文だけでも状態がわかるところもありますが、手で書いた文字はごまかしがききません。それは上手いかどうかではなく、こころがあらわれてしまう。・・・筆記具がもてなかった時期がありました。ことばが綴れなかったこともありました。いまも、おそろしいと感じるときがある。それでも、偽らずに書こうと、使ったことのなかった万年筆をもつようになりました。

学生のころ、テストの答案は最初に書いたものが正しいことが多いと聞きました。それと同様のことを、ある書家のかたがおっしゃっていました。・・・つまり、手紙に綴ることばもはじめに書いたものがより本心にちかい、と。もちろん、正直なだけがいいということではありません。でも、伝えたい想いがふかいのなら飾り立てる必要はない、そういうものではないでしょうか。

人はじぶんの寿命をしらない、また、しる必要もない。ならば生きているあいだにどのくらいのことができるのか・・・語ることなく、伝えることなく散った言葉がこれまでどれほどあっただろう?そう感じはじめたときに意を決して筆をとりました。地位も名声も肩書もない、ちっぽけな・・・だけど怒り・泣き・叫び、心から笑うことをしっている生身の人間です。だからこそ、書くことで伝えたかった。言葉だからこそ届けられる、そこに語られない真の想い・・・・・・

紙という媒体でなくても情報が飛び交い、秩序がなくなる、安易な発言が増えるという懸念はあるでしょう。ですが、そこに存在することでようやく実体を保てるという人もいるかもしれません。わたし自身、紙に書くことがいちばん落ち着くことに変わりありませんが、誰かがことばにふれることでこういう人間もいるのか・・・となんとなくでも思ってもらえたらとここへ来たのです。

決してきれいな人間ではないけれど、応援してくださるかたがいます。理解しようと歩み寄ってくださるかたがいます。みえないけれど、ここをたずねてくださるかたには深い感謝の念をいだいています。こたえられるかわかりませんが、全身全霊であらゆることをうけとめて、精いっぱい生きたい。ちいさな存在ですが、これからもお付き合いいただければ幸いです。

どれほど言葉にしてもあらわしきれない・・・そこが魔力であり魅力

ほんとうにありがとう

『僕のたからもの』・『君はそれ以上』著者  楪 蒼朋(ゆずりは そうほう)