**言葉・歌・詩**

立秋をすぎたようなので、すこしは涼しくなってくれると良いのですが。。。

天候もどことなくとまどっている様子、こうなると生き物に変調があらわれるのも自然ですね。

昨今は言葉のもつ意味がうすくなった、といわれます。
それは同時に軽々しく用いられるようになったということなのでしょうか?

その場しのぎの言葉、集団に押し切られるなかでの言葉、
特定の内部でのみ通じる言葉・・・そこには心がはいっていないのかもしれません。

言葉は、話す・書くどちらにしても発した人間は忘れてしまいやすい。
でも、受け取る人間は良くも悪くものこっていくのではないかという気がします。
だからやはり、心をつかわなければならない。

この前、途中からだったのですが、亡くなった作詞家の阿久悠さんに関する番組を観ました。・・・ドキュメンタリー形式、といってもいいのかな?
時代の変遷ということもあるのでしょうが、あのころの歌はほんとうに時代を映していたものが多かった。そして、誰もが口ずさめる歌があった。
私が好きだったのはピンクレディー山口百恵さん。歌い手さんはそうだったけれど、知らずに歌っていた阿久さんの歌もたくさんあったんです。

一面識もないかただったのですが、身近に感じていた。
いま考えると、阿久さんと共にあの時代を生きていたんだなあって。
ちょっぴり不思議な感覚。。。

多くのものにふれていなければ、さまざまな世界を知ろうとしなければ、言葉はついてこないし、いざというとき話ができません。もし、言葉としてのかたちが成せなくてもそのことについて理解を深めていればちがう角度から語ることも可能になる。それが歌であり、詩であり、小説でもあると思うのです。

私の生きている時間は阿久さんより短いし、知る空間もおそらくはるかにせまい。
それをいかにひらいていくかはこれからにかかっているのだろうけど・・・
自分なりにこの瞬間もっている言葉を綴っていく、感じる言葉を紡いでいく。
その基本姿勢をくずさずにいたい。・・・たとえ他人に愚かにみえたとしても。

一年が経過しているとは思えないくらい・・・
いまも阿久さんの気配を色濃く感じています。

ものすごく言葉というものに、真摯に向き合っていたひとだったんだな。。。。