物語から教わること ∞Ⅱ∞

小さいころはピアノのお稽古や音楽教室があったので、リアルタイムではなかったですが、アニメは観てました。まんがもそうだったけど、どちらかといえば少年まんがを面白がってたかな?それと、特撮もの。

*一応、説明*お稽古ごとを目的として通ったというより、神経質でからだをこわしやすかったのできたえるためもあって、習い事をということになったらしい。
あとはたぶん、情緒面?友達とやりとりするのがうまくなかったからね

私が観ていたころには当然「イケメン」なるコトバはなく、それほどヒーローであるとも強調されてなかった。どっちかといえば時代劇のノリに近かったかな。
だから、このごろの特撮ものの取り上げ方にはちょっぴり違和感ある世代です(笑)
注目されるのはいいことだけどね。

特撮といえば、円谷英二さん→円谷プロウルトラマンという構図になる私。
まあ、きょうだいの影響も受けつつ育ったので。
ゴジラも好きでした。シリーズによって、救う側になったり、倒される側になったり。
なんだか人間社会を象徴してるような・・・そもそも、生み出したのが人間だから、
言い方変ですが怪獣だけどすごく人間くさい、というか

断片的な記憶しかないのだけど、どこかウルトラマンといっしょに育ってきたという意識もあって。
新しいシリーズがはじまったときには社会人になってましたが、不思議なくらい身近に感じたことを記憶しています。

ご存じのかたはわかると思いますが、ウルトラマン自体の表情というのは見えません。
けれど、ウルトラマンのもつ“何か”や変身している人の思いによって明らかにちがうのです。人も、表情だけではすべてはわかりません。それとおなじで、ささいなことからみえてくるものもきっとあるんだと。

おそらく、去年も似たようなことを書いたかもしれません。
ウルトラマンの物語は決して絵空事ではないと。
環境や設定はたしかに現実ではない、でも、形をかえて置き換えてみることは可能です。
虚構だと思って観れば、ただの虚構にしかすぎません。
・・・ですがもし、争いが起きて武器を持てといわれたら?大切なひとが危険に巻き込まれたら?自身に恐ろしいことがふりかかったら?
実際にそうなってみて、わかるしかないこともあります。だけど、未然に防ぐことの出来る危機もあるかもしれない。助けをもとめることで乗り越えられる困難もあるのです。

そのころ、それまでにない危機にみまわれていた私には、物語はいつも突き刺さっていた、すさまじい痛みをもたらした。これはいまだからいえるのですが、ある種の傷が治癒してゆく過程で極度に状態が悪くなることがある、と聞いたことがあります。どれでもあてはまる訳ではないでしょうが、そういうこともあるのかな、と

子どもやマニアックな人の特権のようなところもあるウルトラシリーズですが、劇場版最新作がまもなく公開されます。
制作者サイドでもFC所属でもない通りすがりの地球人ですが(そのはず・・・)いろんなかたに観ていただけたらな、と記事にしました。

姿はみえなくても彼らはずっと生きてる。。。。

あしたが必ずおとずれるとはかぎらなくてもいま、このときを
日々をていねいに生きてゆくことの大切さをかみしめています。

スタッフ、演者のみなさん、お元気ですか?

『 ひとりで生きているのではなく、だれかに支えられ、そしてきみも
  だれかを支えている だからひとのことを考えるのは良いことだけど、
  じぶんをいつわっちゃいけないよ 』

*楪 蒼朋*