ほかの誰でもない、あなたはあなたなのだから

いつからなのか、「ポジティブ」や「ネガティブ」といったことばをひんぱんに耳にするようになった。・・・最初、何ぞや??と思ったけれど、どうやらこれに限らず奇妙になんでもかんでも言語化してそのカテゴリーに押し込めようとしているように、わたしには映る。

明るいだけがいいことなの?
前向きって何?
見えることで華々しく生きなければ意味がない?
個性重視といいながら少し異なることをすると苦々しく思われるのは何故?

そんな違和感をおぼえはじめてどのくらいになるんだろう?
昔いわれたのは「楽観的」・「悲観的」
そうした言葉だったけれどいまほど切羽詰まった空気とはちがっていたように思う。
・・・異様に攻撃的なものが漂っているように感じるのは気のせいなんだろうか?

たしかに人は、わがままな側面をもっているけど思想や意見を述べるのと、強制的に従わせるのは違う。それは相手の人格を完全に踏みつけにしているのと同じだ。
世の中は自分と同一ではないし、似た人ばかりではない。当然のことながら、誰かに合わせるためだけに生きているのでもない。
気に入る・入らない、損得だけで切り捨てるのは簡単だ。でも、それではおそらく成長も進歩もないだろう。ほかの世界をしらないままにいるのと同じだから。

強固に何かを主張している人たちを見ていて思うこと・・・
この人たちは絶対に今の地位や名声を失わないと思ってるんだろうな、と。
同時に上から目線で「お前たちとは違うんだ」と異なった境遇にある人を何処かで見下している。・・・もちろん、そういう人ばかりではないと思うけどね。

時々、此処にいる自分って何だろうって思うんだ。
いまにはじまったことじゃない、だけど、日ごとにそれが大きくなって恐怖に覆われてしまうことも。・・・人ってね、全部を言語化できるわけじゃないし、あっちだとかこっちだとか容易に割り切れてしまうものでもないと思うよ。行ったり来たり、悩むし迷うし惑うし。
専門職というのは仕事上、そうしなければならないことは理解できる。
ただ、苦しみにあえぐ人に必要なのは専門的なことでも投薬でもなく、最優先なのは心を落ち着かせること、“安心していいよ”と伝えること・・・
言葉がかえって傷を深めてしまうこともあるから、むずかしいけどね。

一般的にそうだから、みんなそうだよっていうから自分もそうじゃないとだめなんだ・・・
もしかしたらそんなふうに感じること、あるかもしれません。
人から見ればふつうじゃないと思うこともあるだろうし、逆に人のもつ自分の像が自身の認識からかけはなれていて苦悩が深まることもあります。でも、それを無理に肯定することも否定することも必要ない。
そうかあ・・・と納得するもよし、やっぱちがうなとスルーするもよし。
『本当にこれでいいんだろうか?』
・・・そうした思いは常につきまといます。本質的には誰しもいだくものだろうと。
わたしも欠点
だらけでたいそうなことをしているわけではないので試行錯誤していますが、行為者はあくまでも自分です。他者はきっかけはくれますが答えをもらえるわけではありません。そうして、何が正しいかは誰にもわからないのですから、自分が、あなたがそれを選び取って動くことが何より大切なことだと思うのです。

・・・自分ってひょっとして変なのかなあって思うことや、空間にぽつんと置き去りにされてる感じがすることもあるけど・・・馬鹿にされるようなことがあったとしても、まだ此処にいたいんだ、わたし。
みえるものだけがすべてじゃないってようやくわかりかけてきたし、自分のことも含めてしらないことがたくさんある。たとえばとなりにいる笑顔の素敵なひとにも、奥底に秘められた深いおもいが存在するかもしれなかったり、顕在化されたものが必ずしも真実を語っているとはかぎらなかったり。
味方になってくれる人、理解しようとしてくれる人は近くだけにいるのではない気がします。
だから不安もあるけど・・・すこしずつ、歩み寄ってみようよ。

∞∞∞∞

桜の開花が年々はやくなっていて、嬉しいようなちょっと大変なような・・・
たいていお花見のころには花冷えになって、凍えてしまいそうですね。
これからいろんな花や緑が映えます。しかしながら気温は変動しそうですのでご自愛を。
五年くらい前にみつけた小型の万華鏡、気候がよくなったらのぞいてみようかな