幻なんかじゃない

目視できないもの、現実にはありえないものを幻と呼ぶ。

みえないものが幻なら、神さまや仏さまは?
さわれないのは“こころ”もおなじ

細密にしらべていけばある程度のことは科学で証明できるのかもしれない。
でも、それだけで結論づけできるほど容易じゃないのがあらゆる世界なのだと。

風ってつかまえられますか?
雪ってきえてしまうよね
知識ではあっても、それをどうやって「知る」ことになったかはっきり覚えていないこと、
多くありませんか?

人の気持ちって、コントロールできません。
じぶんの気持ちでさえわからないことがある、まして他者はまったく別の存在
あるのは表情や仕草、態度。それすら真実であるとはかぎらない。
みえているようでみえない、それこそ幻のように
だけど、とらえようとするし、なにかを“感じて”ますよね。

じぶんとまわり、世間は同一ではないから、さいごは自身の感覚を信じるしかない。
どこかで影響は多々受けていて、まっさらではないと感じたとしても、いまあるじぶんは誰かのコピーではないのです。

じぶんであってじぶんじゃない・・・
時々、奇妙な感触におそわれてたまらなくこわくなることがある、それでも
“生きて”いる、“呼吸して”いる、“感じて”いるのはわたしなのだと

なくなってしまったもの・・・
それをしらない人にとっては幻にちかいものだろうけど
そこにあった、存在してたことをしる人には“記憶”としてのこる

わたしの“想い”は人のいう恋とか愛とかじゃないかもしれない
そんなにかわいいものじゃないし、きれいなものでもない
たとえかたちがちがうのだとしても、いまのわたしにはたいせつな“たからもの”
あなたからのすてきな“おくりもの”
決して楽しいことばかりじゃないけど、哀しいばかりでもない、なみだもあるんだ

・・・そんなあたたかいなみだをしったころに出逢った、
荒木幸史さんのコスモスたちに再会できました。
コスモスの海で、さまざまな想いが押し寄せて・・・

みえない、さわれない、けれど
あなたはこの世界のどこかで
そして、わたしはここにいる、“想い”もたしかに


・・・そういえば、コスモス<cosmos>という言語には『秩序』の意味もあった・・・

★想★
石嶺聡子さん、だっただろうか。
彼女の曲に“幻なんかじゃない”ってあったようです。
とまどいながら、おそれを感じながら、しっかりと「ひとつこと」を貫く
・・・そんなひとでありたい。