言葉以上に伝わる想いがある

生きている という感覚はうすくて

特別に望むものなど 何もなかった

あのころ僕は、どんな人間だった?

冷めてはいたかもしれない
それはいまもさして変わらない

ひとつだけ 変わったのなら
心に宿るものがある ということ

“何かを 置き忘れてはいないかい?”


夏が、嫌いだったときがある。
自分自身のこととはいえ、何かを決するとき・起こすとき、は不思議と夏だった気がする。
何度目かのときは絶望も通り越し・・・人形のように横たわっていた。

どんなに言葉にしても、話しても、わかってほしい人に伝わらず、諍い・冷戦・・・
まわり全部と交信を絶とうとしたことは幾度となくある。
本質的に連絡をとる際、こちらから働きかけることはあまりない。だから放っておけば誰も連絡はよこさなくなるだろう。でも、ほんとうにたったひとりで生きていくことは難しい。
誰しも何かしらの形でどこかでだれかと接点を有しているのだから。

対話も容易でなく、人のなかに入るのが得意でない私ですら思う。
・・・何かを本心でわかってほしい、伝えたいと思うのならやはり、こちら側から働きかけるしかない。もちろん、考え抜いた上で言葉にする、それでも伝わらないかもしれないが、その後の行動も重要になってくる。答えを、返事を期待しすぎずに続ける、ということ。そして、その時点でできうることをやっていく、どんなに小さなことでもいい。あっさり引き下がってしまえばその程度と思われないためにも。

対面であればなおさらだけど、手紙やメールでも、必死の想いは届くこともある。
切実に、言葉と行動は表裏一体なのだと感じているから。

特技といえるほどのものは少ないかもしれないけれど・・・
新風舎版『君はそれ以上~出会い』を送り出してから五度目の夏。
時の流れのなかで、いろんなことを想い、感じていたのだなと振り返る。
もし、お持ちのかたがいれば、末永くそばに置いていただければ幸い、そうでなくとも記憶のどこかにわずかでも留めてもらえるのなら。。。。

貴女がいたなら、微笑んでくれただろうか?

大切なひとと笑顔になれるように


笑ったり泣いたりは君がいてこそ
ふたたび君に逢えたら、僕は
幸福な人生を歩んでいると確信する

2007年11月28日
2007年12月28日
2008年1月28日
2008年2月28日