もしもピアノが弾けたなら

「・・・ピアノが弾けたらいいな」
そこにはいくばくか 純粋な響きがある

わたしの始まりはなんだったろう?
きっかけなんて何でもよかった
そういえる思い出ならい
初めて鍵盤にふれた日や
曲をひとつ仕上げたときは
うれしかったのかもしれない

でも 大きくなってわたしは
気がつくとピアノがこわくなっていた
ほんとうに音楽が好きなのかさえ

「それしか取り柄ないの?」
というほどのものがあるのか
ほかに何も浮かばず
どうすればいいかわからなくなっていた

ピアノに罪があるわけでも
音楽がいけないのでもないと
わかっていたけれど

いつしか音楽もピアノも
遠ざけてしまった
そうしなければ苦しかったから

このごろやっと
近付ける気がしてきたかな
弾いていたわけじゃなかったのに
言葉が音符のかわりだったんだ
誰かに何かを伝えるために
どうしても必要で

痛かったけど
ピアノのことが浮かんでた

事故とか病気の後遺症で悩まされて
ふっと声が出なくなりそうになる

もし 声が届かなくなっても
文字や音符は届けられるかもしれない

子供のころのような純粋さは
もつことはできないとしても・・・
うまくできなくてもいい
わたしなりのかたちにして
伝えたい

音楽と文章がつながるものなのか
人によって感じ方は異なるとしても
わたしにはきっと
どちらも必要なのだと

じぶんでは無意識だったけど
生きるために 呼吸のために
ずっとそれは営まれていた
育まれていた

意味なんてわからないけど
答えなんて簡単じゃないけど
あなたに逢えたから

全然ちがっていても
どこかで ともに
人生を奏でられたらいいな