たかが愛

思う、という感情を最初に知るのは家族がきっかけだろうか?

愛される、大切にされる、そうした記憶をどのくらい有しているか・・・
人によってはそれが家族との記憶ではない場合もあるかもしれない。

友達、仲間、先生、先輩や後輩、何かしらの集団で出会う人々、
周囲にたくさんそうした人がいることが幸福をもたらすこともあるけれど、
そうじゃないことも、あるよね。

人は人のなかでしか生きられない。
かかわりかたはどうあれ、完全に切り離すことは、できない。
表層としてはうまくふるまっていても、しんどさを感じることも多いかな?

心を許せる相手というのは・・・そうやすやすと見つかるものではない、と
実感する。いや、自分がかなり不器用なせいもあるのだとしても。
人ってどうしても都合のいいことだけ受け取ろうとするからね、そうやってると深みのある、ながい付き合いができにくくなるし。
でも、心に残る人っていうのは、誰しも少なからず存在すると思う。

それがひろく発展するか、そこで途切れてしまうかはわからない。
別のところからつながることもあるだろうし、ちがう出会いが大きなものをはこんでくるかもしれないから、白か黒かじゃ決められないけれど。

家族であっても別の個人、だからわからないことだってある。
友達、仲間、それぞれの関係にいろんな思いがあって、みえないし伝わらないことも多いから歯がゆさを感じてしまう。
優しさや思いやりというのは、やわらかなかたちばかりではなく、厳しさや烈しさをともなうこともあり、示し方もいろいろ。自分に思いがあるように、相手には相手の思いがあって・・・
正しいかそうでないかじゃなく、背負ってるものや生きてきた環境が違えば、選ぶ言葉や態度にちがいがあるのは仕方ないんだよね。

「私はこう感じているけれど、向こうはそうじゃないのかもしれない。どんなふうに思ってる?どんなことを考えているんだろう」

思考というのは通常、自分中心にまわってしまうものだから、ちょっと距離置いて・・・
冷静でいられるといい。・・・あくまで理想。
そんなにできた人間じゃないからやっぱり悩んでます。
人とのかかわりって近いことばかりでなく、距離あっても生じること。
度合いがちがっても、愛情とか情愛とかのありようは実に色彩ゆたかに多岐にわたるものだと感じます。

たとえそれが一度きりのかかわりであるのだとしても、
人としてきちんと、そのときできるかぎりのことをして向き合いたい。

私自身、つめたい側面が出やすいかもしれない思いがあるからそうなのかもしれないけれど・・・何ていえばいいのか、どう表現したらいいのかしょっちゅう迷って、惑うんです。
だけど、時折この支柱を思いだす・・・昨年のコンサートで願いがかなった、中島みゆきさんの曲。生演奏は初めてだったのですごく嬉しくて。

・・・ひとつもまちがわない人なんていない・・・

人である以上、捨ててしまえないもの。
どこか突き放したような歌でもあるかもしれない、でも、
みゆきさんだから、あふれるものがたくさんある。

皆様、こころを、からだを、どうかいたわってください。
人への思いも、自分あってこそ・・・