“引っかかる”

雑誌はめったに読まないので通常、よく読むものの代表は新聞。
これも体調が悪かったりすると活字を追うのも億劫になる。

最近は有難いことにそこまでの症状にはならないので目を通すことはできる。
ところが、ちょっと困ったことが起きている。

なんとなく気が乗らない、落ち着かないなどの理由で、頭に入らないことは誰にでもあるだろう。もちろん、そんなときは私もあらためて読み直すか、調子が出ないと割り切ってそのままにするか、である。

では、何に困っているのか?
・・・といえば、たいてい読んでいる最中に「あ」と自分では察せられるのだが。
読みくだせない、のである。文章の途中、あるいは話題の特定の箇所にアンテナが反応してしまい、自分のなかでそれがぐるぐるまわりはじめるのだ。
どこかで納得していない、ともいえるし理解できずにいるのかもしれない。

こういうときの心理の根っこにあるのは、おそらく、ほぼ多数派に属せない(とおぼしき)者の「それ、ちょっと違うかな・・・」という思いだと推測する。
意見としてそれはありだとは思うけれど、そうじゃない人間もいるんじゃないかなあ。
・・・そんなところか。
まあ、記事とか話題とかの中心は傾向として強いもの、確率的に高いものになるから致し方ないのでしょうが、そこに入っていない、属していない、そうなれない「ひと」や「もの」のことをふと考えてしまう。たぶん、取材など詰めているのであれば相応の意見としてまとめられていると思いますが、いつの間にかそれが独り歩きをして「全部がそう」とか「そうあるべき」論調みたいになっちゃわなきゃいいが、と恐ろしくなったりして。

毎回これだとけっこう疲れます(苦笑)
しばらくの間はそこまでなかったんですが・・・なんでだろう??

新聞というのはホントにいろいろ勉強になるんで、気になる記事や言葉はメモしたり、切り抜きをしたりします。しかし最近は上記のような理由でちゃちゃっと進められないことも。

・・・で。
どう取り込むかまとまらないと新聞持ってうろうろ。おおよそ考えが組み立てられるまで積む、・・・さて、どうすっかな・・・(早いときなら翌日には対処しているが、あれやらこれやらはまってきたときには一週間以上経っている:その間、強烈に増えていないだけまだいいが)

そうこうしているうちに、久々の書物探険・・・
この時期必要なものとして選んで、かなりはしょったつもりだったのですが、予期せぬ偶然が重なって(!?)ばっさり冊数が増加。ある程度、収納スペースは浮かんでいるがどう読む・・・このあたりも調整しないと後が怖い(汗)
読みたい、でも、これやってそれからあれも・・・・・・

ああ、どおしよう~!!(泣)

英訳?すっと、「おーまいがあっ!」・・・てやつだね。。。