秋櫻

コスモスの花を描かれる荒木幸史さん。
その作品展に何度かおじゃましています。

いちばん最初は心身がまだ落ち着いていなかったとき、だったので、
作品の前で涙が止まらなくなりそうで。

あれから八年くらいになるのかな?

コスモスという題材は同じなのに、表情がさまざまにみえる。
荒木さんは本当に花たちを愛おしいと感じておられるのでしょうね。

そこにあふれる繊細さ、優しさ、慈愛のようなもの・・・
感性というのは持って生まれたものかもしれませんが、ときおり
後天的にも養われる部分はあるのだろうかと思ったり。

花の色は白、淡紅、深紅などがあるからそれらの色をベースにすると
全体の色合いがピンク色になっていたり、宇宙のイメージだとブルーにちかかったり
しますが・・・幻想的でありながら、ふっとその世界に迷い込んでいる、
そんな気持ちになることがあります。

そこだけが妙にリアル、真実味をもって迫り来るとこわくなる。

宇宙の一点にぽつんと取り残されたような。。。。

でも、こわいばかりではないんです。
私にとってのあおい色、というのは原初・原始の色のようで、どこか
故郷に戻っていく、大事な鍵でもあるのかもしれません。

中間色であるむらさきの空間には安堵感さえあり・・・
まだ、道中だからわからないことだらけですが。

人間誰しも二面性があるので自分だけが例外ではないと思うけれど、
時々、冷徹な、残酷な顔がみえてくるとどうしていいかわからなくなるのです。
今は人に対して出さずにいるけどね。

だから、優しさって、すごくむつかしい。

震災後の話でよく見るのが
「みんなで」
「一丸となって」
「がんばろう」
という主旨のもの。

それ自体はたしかにそうで、大事なことなのですが、
直接かかわり傷ついた人、そこに連なる人のなかでも感じ方は皆ちがうし、
助けになろうとする人、支える人にもそれぞれ異なる立場があります。
距離の遠い近いに関係なく、何も感じない人や組織や団体・・・
どれが良い悪いではなく、この瞬間のことで手いっぱい、という場合もあるはずです。

「みんなで」・「がんばろう」といった囲い込みに苦しさをおぼえる人も
いるのではないでしょうか。

新聞に「愁」の文字が使われなくなってきた、とありましたが
どうしても笑えないとき、泣きたいとき、気持ちが沈んでしまうとき、それを
抑え込もうとすればかえってどこかにひずみが出たり、症状が重くなったりします。

自然な感情をありのままに受けとめることは大切で・・・
逆に自身や他者を傷つけて、心まで凍ってしまうことのないように。

暗い場処が安心できることだってあるのです。
それを、いけないことだと思わなくても良いのですよ。

季節のせいか、精神作用か、揺らぐコスモスをみていると
山口百恵さんの同名の曲(表記どうだったか忘れましたが)を浮かべます。
・・・この時季ゆっくり聴いてみたいな・・・

風邪などひかぬよう、御身おいといくださいませ。