静寂のなかで

「子ぎつねヘレン」という作品(映画)をご存じですか?

ある日、少年は小さなきつねに出会います。のちに、そのきつねは聴覚も視覚も機能せず、声も出せない状態であることが判明します。そのおり、獣医さんのつぶやいた「まるでヘレン・ケラーだ」という言葉から“ヘレン”と名付けられた子ぎつね。そのときから少年とヘレンの、あらゆるものとの闘いが始まります。

作品としてわかるようにフィクションも盛り込まれていますが、実話がもとになっているそうです。原作とされている本は読めずにいますが、視えない、聴こえない、というだけでも世界はまったくちがったものに感じられると思うのに、複数の要素がからんでいるというのは想像がつきません。障害をもったら、日常生活が送れなくなったら生きていて幸せなのか?という問いを突きつけられる。その答え(らしきもの)はそれぞれでちがっているでしょう。でも、いのちは自分だけのものじゃない。簡単に導きだせるこたえなんてない。仮に、意識のうえで“死にたい”と思ったとしてもその裏側には“生きたい”という想いがどこかに存在していると思うのです。実際、私はそう感じていたのだろうと・・・(いまもそうなのかもしれない)

少年のように純粋な気持ちでいられるかはわからない。でも、ヘレンの必死さは理解できる気がしました。あたえられた命をまっとうしようとする・・・そのあたりまえな姿勢が、人間の社会では揺らいでいる。・・・以前は映画で泣くことなんてなかった。つくりごとはつくりごととして突き放して見ていた。人にとって現実であっても、私には現実味のないことが今も多くあります。だけどこの映画を観ているときはどうしようもなく涙があふれた。人目もはばからず泣きっぱなしだなんて、ありえることじゃなかった。それはもう、悲しいとか空しいとか、哀れさとか儚さとかを通り越してしまってました。あのとき私のなかにあったのは、大切なひとのそばで生きたいという願いだけだった・・・・・・

大地に水がしみこんで還ってゆく・・・・・・そうしたしずけさが、いまの私を支えています。

物語にでてくる人も生き物も、個性豊かな面々ですので、どこに感情移入するのかを観察してみてもいいかもしれません。クリスマスも近いですし、ご家族でも楽しめるかな?

西村由紀江さんの音楽も素敵です。ピアノがきらいになりかけていた心をそっとほどいてくれた・・・