虚構は虚構にあらず

・・・舞台演劇に最初にふれたのは学生時代。そのころはまだ、自分の日常にかかわってくるものだとは思わなかった。

急激に接近したのは近年、しかしこれは時間軸が人によりけりなので長短はわからない。

直近の舞台では、タイムトラベルが主題であった。こうなるとファンタジー・SFといった区分が浮かぶかもしれない。けれど、タイムトラベルにせよパラレルワールドにせよ研究の余地があり、実際に科学的に論じられている側面もある。そう考えると単なる夢物語とも思えない。

友人のひとりはそうした分野を勉強したかったと言っていたが、私は専門的にではなくても知りたい、とは思っている。関心はおそらく早くからあった。

ふつうなら、舞台を観て面白かった、感動したですむのかもしれない。共感するところはあるにしても、非日常でありその場かぎりでおわる。・・・けれど私には素通りできない。いつのころからか舞台空間は非日常でありながら、どこかにまといつくものになっていた。自分の一部と化していくのである。

そもそも日常とは何なのか?自分の目にしているものは本物なのか・・・

疑問を投げかければきりがない。でも、舞台というのはある意味で見たくないものがさらされる場処でもあるような気がする。何故ならそこにいるのは生身の人間であり、多かれ少なかれそれぞれの人生観が交錯するからだ。

つくりごとをそのまま右から左へ追いやるのは簡単だろう。けれどもし、その出来事が形をかえて自分にふりかかったら?・・・そう考えたことはあるだろうか。物語や作品のジャンルが問題なのではなく、人間の存在そのものが謎にみちていることを忘れてはいないだろうか。

物語では、タイムトラベルによって歴史に狂いが生じ、多くの人の人生を変えてゆく。理性ではどれほど無謀なことかわかっていても感情には、心にはそむけないことがある。それはふだん、現実と呼ばれる事象のなかにも多くある。自分の行為によって誰かが傷つくかもしれない、傷つけたくない。だけど、どちらも避けることはできない。

人生のすべては夢のようなものである、といった言葉を耳にしたことがある。はかない、とよくいわれる。ならば一瞬たりとも無駄にはできないだろう。

その一瞬のなかに、無限なるものが秘められているかもしれないのだから