~ごめんなさい*ありがとう~

2008年から2009年へ向けて、皆様さまざまに動き始めていることと存じます。

言葉綴りをはじめるにあたって、私が決めていたこと
・更新時期にはこだわらない
・気持ちをいつわらない
・決して無理をしない

ほかにもたぶんあるのですが、おおよそこのような原則をもって書いてきています。

はじまりのときにも書いた気がしますが、私はメカ音痴がはげしく、書くのにも時間がかかります。そうしていつも言葉がすぐに出てくるわけではありません。
また、心身の状態にも左右されやすく、そのため、できるかぎり書こうと努めていますがコメントにお返事ができないこともあります。
適切な言葉が浮かばないときや精神的にきつい状況にあるときなど・・・
いただくコメントは有り難く拝見しております、何卒ご了承くださいませ。

このところなかなか時間がとれず、記事も書けずにいますが忘れているわけではないのです。すこし、調子も考えなくてはならなくて。

訪問できずにいるサイトの皆様や連絡できない友人や知人・・・
ホントにごめんなさい。


・・・話題が飛びますが、知らないかたにはすみません、でも、ちょっと書いておきたくて。
「相棒」という作品のなかにおいての話
薫ちゃんが、旅立っていきました。人生のなかでおとずれる転機、それは何度あるのか。
気づかず通り過ぎることもあるだろうし、節目がたくさん、という人もいる。
どの道を選ぶかは、人それぞれ。どれがえらいとかすごいとか、そういうことじゃない。
大切なのは、自分のほんとうの心。

ある意味で苛酷な選択なのかもしれない。でも、なんだか薫ちゃんらしいなと。
・・・青臭い、といえばそうなのだろう。「笑わないでくださいよ」と右京さんに前置きして
「子供たちに本当に教えたいのは正義」
そう、彼は言った。不正だらけの国だからこそ、本当の正義を
きっと、彼なりの流儀でそれを伝えていくのだろうと思う。
もちろん、彼自身も自問自答をくりかえしながら
そうやって彼は右京さんの相棒となり、ともに闘ってきたのだから。

右京さんは鋭すぎる故に組織に疎まれ、薫ちゃんは真っ直ぐすぎて組織からはじかれた。

ふたりに共通していたのは「心」だったと思う。
肩書・立場・体裁・・・そういったものに惑わされない本質を見抜く人間としての心

右京さんは確かに変わったひとではあるけれど、自慢などはしないし人を見下すこともない。ただ、言葉がストレートすぎる、というだけだ(それで誤解は生じるかもしれないが、よく聞けば皮肉ではない)。・・・それを薫ちゃんは時間をかけて理解していった(本人は自覚してなかったかもしれない、ごく自然になじんでいった、といったほうが正しい?)のだろう。

実際の人間同士でも、あるんじゃないかな、こういうこと。
気づかずにいるか、まだ出逢っていないか・・・
まるっきりちがう、合うはずなどないと思っていた相手がいつのまにか互いを必要とするような存在となっている。

異国の空の下の薫ちゃんは、仕事上でのパートナーではなくなるけれど人として、相棒としての右京さんとのつながりは変わらないと思っている。
私は、右京さんも薫ちゃんも大好きだ。
だからいま、言っておきたい
“大切なことを教えてくれて、ありがとう”