カラーひよことコーヒー豆

『カラーひよことコーヒー豆』

・・・果たしてうまく発色しているか??
いや別にカラーではじまっているから、という訳ではないのだが。

読書家および本好きのかたはご承知だと思う。
ずばり本のタイトルである。
何かこれだけでもインパクトないすか?

私が最初目にしたのは新聞広告でして・・・「ん?」
白黒だったけど、表紙も面白そうだったんでまず確認。
場処:都内某書店。とてもカラフルな装幀が目を引いた。
むっちゃ可愛いので楽しみにしようと購入はのちに。

まあ、ほとんど小川洋子さんのエッセイということでポイント高かったのだな。

なんと一日で読了しましてん。(速読を推奨しているのではなく・・・あくまで自分の速度では珍しかったというだけで。もっと速い人もいるだろうし)
読んでくうちに、項目ごとで「あーそうかー」だったり「小川さんでもそういうのあるんだ」だったり。んで、私のようにちいさきものでもいいのかなあ、みていてもらえるのかな、と妙に安心できたりした部分もございました。

こまごまと書いてると、これから読もうとしているかたの楽しみをとってしまうのでこちらでちょっと考えたこと。
カラーひよこではなかったが、「ひよこ売り」は子供のころ来ていた。正式に何と呼ぶのかなぞ不明なのだが、周期的に学校の前に出現していた記憶がある。・・・昔も今も変わらず飼えないとわかっている生き物を見るのが苦手で、そのころもぴよぴよなく声のみ耳にしながら足早に校舎に消えていた。考えてみると縁日の金魚などもそうだが・・・ほぼまともに育てられる確率は少ないような気がする。子供の興味をひくための商いといってしまえばそれなりの効果はあるのだろうが、生き物側の立場とすると・・・大変だね、ホントに。
本質的にはこうしたことを通じて「生きる」ことや「命」について知るようになっていくのだろうにな。童謡の歌詞やルーツなどを調べるとある種残酷なものが含まれるのと無関係ではないと思う(昔話や童話についても同様)。

以前ここで書いたかもしれないが、サラブレッドにも残酷な宿命がある。
競走馬としての資質や立場・・・いろんなことがあるのだが、走る姿を見るたび複雑な気持ちになるのがそのたたずまいである。400キロ、500キロある馬体をあのきゃしゃな脚が支えているのだ。そして彼らは立ったままでいるのが普通である。つまり、立てなくなることは命にかかわる重大事。そのことを知ってから、レース中の故障が発生することが、その馬が苦しむ姿を見ることがとてつもなく恐ろしくなった。・・・骨折はほとんど見込みがないため、即「死」を意味する。苦しまぬよう、安楽死の処置がとられるというけれど・・・
これに関しては言葉が継げない。

話を戻そう。
私がこの本を、と思ったきっかけはたしかに小川洋子さんのエッセイだったから、だった。
では、決定打は何だったのか?
帯文にある

ダイジョウブ!
あなたのことを見ていてくれる人が
きっといます

オビが場合によっては変更になる時期などもあるかもしれない、けれど、このなかには祈るような想いがあふれていると感じた。

昨今、自信のつけ方や持ち方についての本も見受けられるが、ビジネス書・スピリチュアル書しかり、多くの場合長くはもたない。極度に高飛車になるのも落ち込むのも考えものだし。でも、そのくりかえしでもいいと思うのだ。とりあえず、ひとところにとどまってしまわなければ。同じようにみえて、まったく違わないということはおそらくない。もっといえば、自分自身が存在すること、これがすでにものすごいことなのだから。

私は自信がない。自信をもてないが、それでもなんとか生きている。
しかしながら「自信がない」ことの根拠、それは他との比較から生ずる。
そも「自分」と「他者」は別であるのに数値化するようにくらべられるか?
まして私を信じてくれるひともいるというのに自分が信じられんとは何事・・・!?
とまあシンプルにできないのが人間だったりするけど。
でもな、全然そんな気せんわって思っても「ダイジョウブ」っていってみる。
たまに人から「ダイジョウブ」って声もらうと嬉しかったりする。
・・・じゅもんみたいなもんやと笑ってためしてみいな、くりかえし、な