きんぎょが。。。。

・・・ここんとこ、ちょっと心臓の調子がおかしくって。
別に疾患ある訳じゃないんですが(笑)
記事書こうと思いつつ、若干しんどさが邪魔して言葉がついてこないのです。
精進しなくては・・・すみません。
まあ、これって心因性のもんだと思うので、そこらへんはなんとか。

何々グッズって色々ですが、けっこう好き、みたいなんですねこれが。
無論なんでもってことではありません。でも、金魚は明らかにツボにはまってる(汗)

たいてい夏場になるとレターコーナーには暑中もしくは残暑見舞い向けの葉書やレターセット出ますが、意外と気に入るものにはお目にかかれない。当然、個人の好みによりますが。
・・・で、きんぎょ、なのですよ、はい。
私の感覚としてはオールシーズン使用可、かもな~などと思ってるので、きれいなものがあれば使いたいのです。でも・・・いまのところ、何かがいまいち、・・・という感じで。

そんななか、珍しく「お?可愛い??」と目に入ったものがいくつか。しかし・・・
メモか一筆せん的にか、何に使うのだ??と悩みまして。
いやはや、きれいすぎても勿体ない、のか・・・?(結局、退散しました)

あ、水族館行きたくなった。。。
(けど遠いのさ)

何年か前にかわいかった金魚の絵入りのタオルハンカチ(が正式名称?)購入したんですが、これもふだん使いにはしたくなくってそのまま。いや、持ってるだけでもたのしいけど。

きんぎょに限らず、お魚ちゃんとかお花たちとか・・・生き物は育てるの、むずかしいね。
ただ、大人になってからはあまり機会がないかもしれませんが、子供のころには動物の飼育や植物の栽培のような経験って一度くらいはあるんじゃないかな?
それは、無駄なことでは決してありません。動物なら、人間と近しいところで生きている体温にふれることで生命を実感できるし、植物なら土いじり・水いじりから入って、どんなふうに芽吹き、葉が生まれ、花や実が育まれるか・・・そこへ辿り着くまでの変化は、やはり生命のいとなみにふれることになる。
生き物にふれるとじぶんが元気になる感じ、あるでしょ?
たぶんね、双方向でエネルギーが行き交ってる証、だと思うんです。だから、心が通ってれば動物がなついてくれたり、植物が芽をだしたり、花が咲いたりする。

そも何故こういう話になったのかといえば・・・「臨場」というドラマを観ていてふと、生き死にのことを思ったのだと。本編中で倉石さんが育てている植物であったり野菜であったりがよく出てくるのですが、あれは人の死、遺体と対極の位置を示してる気がして。
ああ、金魚もいます、この前二匹になったんで仲間できてよかったなー、なんて思ってました(微笑)
倉石さん自身も奥さんを亡くされている(という設定)から、亡くなった人、生きている人・・・そうしたなかでさまざまなことを意識せざるをえないところはあるでしょうが。

「死んだ人間は嘘をつかないが、生きてる奴は嘘をつく」
その嘘がそれぞれの人間を惑わせる。
嘘、ではなく・・・植え付けられた観念、思い込みといったもので苦しむ、苦しめられることも、あるのでしょうね。

耐え難いことが起きると、何かを信じたり誰かを愛したりすることさえも痛くて、止めてしまいたくなるかもしれません。・・・でもどうか、生きていてください。
すこしでいい、つよくなりたい・・・何ができるかわからないけれど、生きて、ください。

つらつらと書き連ねるのが良いことも、推敲してばっさりそぎ落とし、すっきりしたものにするのも良し。状況に応じて長文・短文分けるのもありです。
小説ではないですから・・・ネットという媒体においてどのくらいのかたが読まれて(あるいは見て)いるかは不明ですが、この空間を訪問くださるみなさま、ほんとうに有り難うございます。短くまとめられたら、とは思うのですが、書きにくるのもまちまちになり、これを書かなかったら後悔しないか?と考えたり。

あたりまえに“あした”はないかもしれない

そう感じることも多くなったから

あせることはないと思いますが、この瞬間を、日々を大切に、
精いっぱい生きてゆけたらいいですね

“あなたを想うと、心があたたかくなる”
みんなが誰かの、そうした存在だと
信じる、ゆるして解き放って、愛する