『命に過ぎたる宝なし』
じぶんが生まれた日は、どんな日だったんだろう?
そうしたことを思う、そんな時間はありますか?
その日何か大きなニュースがあったとか、何時だったのか、とか。
お天気はどうだったろう、とか。
まわりには誰かいたのかな?
よくいわれる大事なこと、とってもシンプルなようで、
実はむつかしいこと
・・・わたしもごく最近、そう感じているくらいだから
まだそこまで思わなかったり、あたりまえじゃん、と考える人もいるかな
それは、「信じる」と「愛する」
あたまでは理解してるんだけど、ほんとうにそうかな?って思うことはよくあるよ。
自信がない、ってことが極端に向いちゃうと、価値ってあるんだろうか、なんて考える。
それってじぶんが「信じ」られてないことだし、大切に想えない、「愛せ」ないことになるよね。
たしかにさ、ありすぎはまずいこともあるかもしれない。でも、他人や他者は少なくともじぶんとは違う人間だからわからないことがたくさんある。それに、じぶんにすらわからない部分だって有してる訳だから。・・・それ考えるとじぶんの理解者ってじぶん自身がならないと味方いなくなるでしょ?まずはね。
イヤなとこもいいとこも、両方あるやね。
それ、よしよしっていえるの、じぶんだけだよ。・・・で、そうしてるとイヤだーって思ってることが意外とそうじゃなかったりして「まあいいじゃん」って思ってくれるひともでてくるかもしんない。
「信じる」も「愛する」もじぶんから。
そっからじわ~っとひろがって、伝わっていくものなんじゃないかな?
わたしもいろんなひとからやさしさもきびしさも、あたたかさも伝えてもらってます。
『命に過ぎたる宝なし』、という言葉がすごく気になってこれを書いてます。
別のところで聞いた「価値があるから生きているのではなく、生きていることに価値がある」という言葉にも通じると思います。
あなたはいま、どんな場処にいますか?
明るいところ、暗いところ、・・・どこであっても、あなたのことをみているひとはいます。
想っている、そばにいたい、笑顔を待っている・・・
あなたが生まれたことを祝福する存在はあるのです。
人によっていろんなつながりがある、ふたおや、祖父母、きょうだい、ともだち、なかま、近所のおじさん、おばさん、なじみの店のにーさん、ねーさん
あなたが大切に想っているひともいるよね
あなたの命はそういうみんなに会うために生まれ、これからもっとたくさんのひとに出逢うためにあるんだと思う、・・・わたしもそんなふうに感じているから。
ただでさえ傷つけられる、と感じることが多いのだから、せめてじぶんを傷つけるのだけはやめようよ
おなじところにもうひとつ、伝えたい言葉がありました。
『握れば拳(こぶし) 開けば掌(てのひら)』
意味は、この後出典を記しますのでそちらを見ていただくとして・・・
文字からも、おおよそのところは想像できるのではないでしょうか。
(別の書物からご存じのかたもいるかもしれません)
わたしが感じるところを書いてみると、拳(こぶし)というのはじゃんけんだと「ぐー」。
そして、攻撃を意図するものでもあります。
対して掌(てのひら)は「ぱー」になりますね。ひらいて「ぐー」を止められる。
「ぐー」に「ぐー」だと痛くてケンカになっちゃうけど、「ぱー」だったらいくらかちがいますよね。・・・日常、これとおんなじだと思うのです。
感情のコントロールはけっこう大変ですが、両方でばんばんやってたら解決できるものもできない。・・・なので、ちょっと考えるとひょいと退いちゃったほうが双方のために有効なんじゃないかな?そうなると相手も「あれ?」ってことになって考える姿勢になる。
物事によってはかなり勇気の要ることでしょうが・・・
『手』が、やわらかさや、やさしさの象徴になったらいちばんいいんだろうな
空気の感触が、徐々に秋を伝えてきています。
それぞれにどのような夏をすごされたのかな・・・?
気温に差が生じると、反応が過度になることもありますし、疲れもみえる時季ではないかと察します。
しっかりとご自身をケアしてあげてくださいね。
わたしも・・・ペースおとしたほうがいいかな?
至らないところが多くてごめんなさい。
*参考文献*
『人生が変わる日本の言葉100 みんなのたあ坊の 握れば拳(こぶし) 開けば掌(てのひら)』 株式会社サンリオ 辻信太郎