子供の思い~それでも、生きてほしいのです

・・・このところ、学生さんの自殺報道が何件か続いています。
こうした記事をみるといろんなことを思い、考え、自分ならどうしたろう、どうするだろうと・・・

どのくらいの話ができるのかわからないけど。
「あなた」はいま、どこにいますか?
学校はつらい?苦しい?・・・そのことを、誰かに話せているかな?
話せていても、届いているかわからない?
話せていないこともあるかもしれないね。

「わたし」からはみえないけど、たぶん、「あなた」はとってもがまん強いのだろうな、と。
がまんしてがまんして、それがたえられなくなって、もうだめ、って思うのかもしれない。

たとえばお父さんやお母さんに心配かけたくなくて。
言っても誰もきいてくれない、とあきらめてしまって。

ほんのちょっぴり「あなた」の先にいる「わたし」にいえることって、なんだろう?
「わたし」もそんなときがありました。心配かけたくないのにそうなって、誰も助けてはくれない、と真っ暗になって。
ずっとそうなんだって思ってしまいます。考えられなくなります。でも・・・そうじゃないかもしれないよ。
「今日」は、「明日」になれば過去になります。そうして時は過ぎていきます。
自分のことをわかってもらえない、と思うことはいまもあります。消えてしまいたいと思うことも。「あなた」は・・・いまもし、自分を消してしまって、後悔はありませんか?やりたいことがあったり、大好きなひとがいたり、しませんか?
「今」はそうするしかないと思っても、時間がたてば、変わっていくかもしれない、ほんとうにたったいまの気持ちだけで全部決めてしまうの・・・?

記憶というのは、しだいに風化していきます。
「あなた」を傷つけた人たちがすべてそうだとは思わないけれど、悪いことをした自覚のないままだと、「あなた」がいなくなったらやがてそのことを忘れてしまう・・・

「あなた」の苦しみ・悲しみ・痛みは、「あなた」にしかわからないと、本当の意味では思います。でも、わかってもらえないかもしれなくても、少しずつ、まわりの人に伝えていかないと、同じような立場にいる人たちのことを誰も考えなくなってしまう。
学校に行きたくないと叫んだり、泣きじゃくったり、一生懸命訴えたりすることは決して恥ずかしいことじゃない。そうでもしなければ、どうにもならないときもあるのです。
ひとりで何でも乗り越えなくちゃ、どうにかしなきゃって、思わなくっていいよ。ちからがでないときには休んでいてもいい、無理に笑顔にならなくてもいい。

「あなた」がいなくなっちゃったら、「あなた」を大好きなひとは、そのつらさをわかってあげられなかった、止められなかったと悔やんで、傷つけながらずっと生きてかなくちゃならないんだ・・・

人ってね、いくつになっても誰かに助けられたり誰かを助けたりしながら生きていくものなんだから、たったひとりで全部しょいこむことはないんだよ。

何かが起きて・・・すごく感じる人もいれば感じない人も。
反応はさまざまで、どっちがいいとかわるいとかではありません。
ただ、すぐに解決できないことも多いから・・・いっぺんに、は思わなくていい。
この際、まわりの思惑は別です。

「いま、自分にやれることって?」

・・・動かない、もひとつの選択。沈黙する、というときもありかな。

すぐに効果がでるものではないけど、「わたし」がいま、ここにいるひとつの要因
「ああ、可哀相ね・・・で終わっちゃだめなのよ」
昔、こころのお医者さんからもらった言葉です。意図することはなんとなく感じたけれど、それで即何かが変わった訳じゃない。ただ・・・いまも、ふとした拍子に思いだす、どっかに引っ掛かってる宿題、みたいなもの。

生きているということは、常に自分のなかで、まわりで、何かが動いている、ということなのかもしれません。
みえないところでも確実に・・・
「あなた」のいる場処がとてつもなく暗いものに感じられているとしても、どこかで動いているものもあるように・・・歩みを止めてじっとしているときがあってもかまわない、「あなた」の命がつないでいけることを・・・