逢いたいひとがいること
「手紙を書きたいひとがいるって、幸せなことだね」
あるとき、友人からもらった言葉です。
これだけ文明の利器が発達した世の中で、手紙はある種やっかいだなと思われるかもしれない・・・書いてもいいかな、と迷いが生じるとき、この言葉を思い出します。
ふだん会っている、ひんぱんにやりとりしていても伝えられない想いや言葉って誰にでもありますよね。・・・まして、私はといえば・・・すぐに言葉を引っ込めてしまいそうになる。
それが自分にとって大切なひとならなおさら。
「手紙」を書くようになって、痛感したことがあります。
私にとってその相手は、とても大切な存在、できることなら末長くともに歩きたい、
逢いたいひとである、ということ。
・・・大切であるが故に行き違いが生じたり、うまく想いが伝わらなくて、ひどい言葉を投げつけてしまうこともある。
映画「わさお」を観ていて・・・自分自身に置き換えてみたりしました。
主人公の男の子が、大好きなお母さんが事故にあったのは飼っていた仔犬のせい・・・
そう叫んだのをみたときはすごくつらかったです。
きっと、本気じゃなかった、だけど混乱して、どこかに思いをぶつけたかったんだと・・・
その日から、のちに「わさお」と呼ばれることになる仔犬の、ながい旅がはじまるのです。
「わさお」も、その子のことが大好きでした。
だから・・・離れてしまっても、忘れずに、遠くから見守っていました。
近すぎるから衝突したり、遠いからみえることがあったり。
大切な存在との関係を育んでいくのは容易ではありません。
でも・・・いろんなことが起きても、何があってもこわしたくないかかわりって、じたばたするだけの甲斐があるような気がするのです。・・・そんなに数多くはないかもしれない、けれどほんとうに「宝物」のような輝きをもつもの・・・思いのつよさで乗り越えてゆけることも、あるんじゃないかな。
気持ちとしては大切な存在とずっといっしょにいたい、と思うのでしょう。
ただそれは無理なことだと、みんなどこかでわかっている。
・・・男の子は、「わさお」がいなくなって、今度はお母さんが帰ってこないかもしれない、と恐れる。
私も・・・これまでに何度か、そう思ったことがあります。
そんな恐れを、大切な存在に気付いたり、手にしてしまったひとなら誰もがいだくでしょう。
もしそれが死別であるとしたら・・・自分が先に逝ってしまいたい、と思うかもしれません。
死後の世界って、なんにもない、とも、ちゃんとある、ともききます。
どっちかわかんないけど、私は器(からだ)は死んでなくなっても、魂(こころ)は生きて存在し続けるんじゃないだろうか、と漠然と感じています。・・・怖くないぞーとは、生涯言い切れないだろうけど(汗)
ずっといっしょにいられなかったり、離れなくてはならなくなったり、生きてるうちにもさまざまなことがあるでしょう。もちろん、自分のなかでも試されることが山ほど。
・・・全然りっぱじゃないけど、人間らしく生きて・・・自己を見つめつつ、大切な存在を見守ることができたら・・・ものすごく幸せなことなんじゃないかなあ、なんて「わさお」や、そこに生きるひとたちを観ながら思ってました。
考えてみたら『僕のたからもの』を書いたころって、あしたどうなってるかわからないって恐怖をかかえたまま、逢いたいひとがいた(そのときは無意識だとしても)から必死だったんだね。。。。
『僕のたからもの』 楪蒼朋 www.amazon.co.jp
願わくば あなたが大切なひとと
より多くの時間を分かち合えるように
。。。。そう祈りながら、私は再びペンを取る
“僕の声が君に 届くといいな 僕の君に 届きますように”
~僕の宝物 より 歌:薬師丸ひろ子
愛しいひとの笑顔が 闇のなかの私を連れ出した
おぼつかない歩みだけど この地球(ほし)の上で
出逢えたことが 何より しあわせ