こころはみえない だから 感じることだよ

性格が明るいとか暗いとか 一部分だけ見たんじゃわからないよね
「そのとき」 気分がよかったとか落ち込んでいたとか
何かあって 心がささくれだっていただけかもしれない

がんばりやさんの人は 疲れていても
表に出しちゃいけないって思ったり
ひょっとしたら本人は 疲れていることにすら
気付いていない

そんなこともあるだろう

心が疲れる というのは
実は自覚しにくいことなのかも

でも くるしみやかなしみが大きいほど
心はどんどんむしばまれていくから


俳優の竹脇無我さんの訃報に、ふと
「近年は心穏やかでおられたのだろうか?」
との思いがよぎった。

竹脇さんがうつ病で闘病生活をされていたと知ったのは、
何かの対談だっただろうか。
俳優さんでうつ病に苦しんだ例は何人か聞いているけれど、おそらく引き金になった要因や症状はそれぞれで異なるのだと思う。

少し目にした記事では、竹脇さんのお父さんが自殺されている、とあり、ご自身がその年齢
に近付いたころから体調をくずされたと書かれていた。
とても、長い期間だったらしい。

うつ病は治療をすれば治るといわれていますが、再発することも多いのです。
また、回復期にあっても調子がいいからと本人が無理をしてしまうことがあったり、周囲には普通になったように見えるため、不調を言い出せず、最悪の場合は自死することも。

精神的な病は外側からはみえないから、「弱い」とか「怠け」だとかいわれます。
けれど昨今の世情をみれば、誰が、いつなってもおかしくない、そういう症例なのです。
あるかたは、「病んでいない人間のほうがむしろ病んでいるのかもしれない」といいます。

・・・精神的に病んでしまうとひたすら思考が内向きになり、停止状態にちかく、
永遠にこの時間が続くとしか思えず、自分が生きるに値しない人間だと責めさいなみます。
ふだんから考え込みやすい性質をもった人はなおさらです。
そうなる前に本人やまわりが気付くことができればどんなに・・・

竹脇さんもそうした側面があったようですが、人はたいてい外側からみられる自分と自己認識とのギャップが大きく、うまくコミュニケーションがとれないと理解されない、と心を閉じてしまいます。場合によっては無視された、と感じることもあるでしょう。

こころは、たしかにみえないしさわれない。
だけど、たとえばいつも笑顔でいる人がさえない顔をしていたら?
ふだん温厚な人が急に怒りっぽくなったら?
やさしい人がひどい言葉を投げつけたり、大声で叫んだりしたら?

それは必死に何かを伝えようとしているのだと思ってください。

それから、直接関係なさそうなことであっても。
あなた自身もしくはそばにいる誰かが、風邪をひきやすくなったな、とか
めったに熱出さないのに高熱が出る、おなかが痛い、頭痛がする・・・
とにかく何か不具合があると感じたなら。

すでにサインは出ているのです。

著名な作家さんの話では、異様にからだが痛くて座っていられない、仕事にならない状態が続き、あらゆるお医者さんをまわったけれど診断が出ず、最後にようやく精神や神経の方面から出ている症状だと判明した例があります。

それほどに、こころとからだは密接に、そして複雑に作用しあっているものなのです。

まずは自分自身の心身の状態はどうなのか、感じてみてください。
それができたら、そばにいる人にも心を向けて、
声をかけてもいいし、ごはんを食べに行くのでもいい、
何気なくおしゃべりに興じるのでもかまいません。

たいせつなのは、
「ちゃんとみてるよ、ここにいるからね」
という気持ちを届けること。

わたしにどれだけのこと、できるんだろうって思うけど、
くるしくてかなしくて、くやしくてたまらないとき、
たくさん助けてもらったから。

『みんな ほんとうに ありがとう』