かなし の 情 <壱>

感情表現としての言葉にはいろんなものがありますが・・・

たとえば、「さびしい」とか、「かなしい」。

言語としてこれらの文字たちであらわすことには共通するものの、
そこに含まれる情景というのは、人によって、または状況によって
違いますよね。

そして、文章を書かれるかたが時折話されている、もしくは記事などで
書かれていること。

「言葉そのものを用いず、どうしたらその情景を描きだせるか考える」

つまり、「さびしい」とはどういうことか、どのような状況から
導き出される感情なのか、表現法を試みてみる。

こうしたことは、敬愛する作家さんのエッセイなどでもよく見かけていて
その都度、「たしかにそうかも・・・」と思いながら、
情景描写に関してはかなり苦労している身である。・・・おそらく、経験値が
低い・・・そもそも内面のものを出すこと自体、相当な苦痛をもたらすのであるが、
それを文章なり文体なりで構築するのはきわめて難儀なものである。

・・・といって、それを放棄してしまえば人間やめなきゃならん?
とさえ思ってしまう・・・

ちゃんとアタマとかココロとか、口や手といったカラダがあるのだし。

さて、ここで言葉の語源、意味合いのようなものを見てみよう。
ある書物から引く。

やまとことばの「かなし」、意味から用いられる「悲」と「哀」の表記。

あなたは文字にするとき、どちらの表記をえらんでいますか?

「悲」は、羽が左右反対に開いた「非」の形から両方に「割れる」という意が
あるそうです。
・・・いかがですか?すごく痛々しい感じがしませんか?

書物によれば、そこから胸が裂けるようにせつない感じを表す、とあります。

では、「哀」は・・・

じっくりコトコト(ひらがなで「ことこと」から変換しようとすると分割されて漢字に
なっちゃった・・・みてるうちに「とことこ」になりそう・・・)、ではないですが、

ちょっとひといき入れましょう。←脳みそがオーバーヒート気味

次の記事に続きを書くことにします。