かなし の 情 <弐>

「かなし」、をあらわす漢字の「哀」。

こちらは「衣」という字の間に「口」がはさまっており、
衣で口を隠して悲嘆に暮れる姿なのだとか。
どのようなときにこうした表情になるでしょうか・・・

意味するところは思いを胸中に抑えてむせぶ、とのこと。

語源を知っていた訳ではありませんが、読みであるとか、漢字のもつ
雰囲気やかたちなどからばくぜんと、自分なりの用い方は考えていました。

私自身は、「哀」をみつめていると、
深く突き刺さってくる感じがあって。。。

生きていく以上、そうした感情もしらなくては
人間としての成長の幅も広がらないのでしょうね。

文字の成り立ちからみると、先の「悲」は他人に悟られるほど表面に
表れるかなしみ、一方、「哀」は誰にも知られまいと胸中に抑えたかなしみ、
となるようです。

引用ということでかたかたと文字にしていますが、感覚的には分かっても、
文章にしようとするとここまでの言葉が出てくるかな・・・と思いつつ。
それでも、できるかぎり借りものじゃなく、自分の言葉で、
より情感にちかいものを探して素直な気持ちをあらわしてゆけたらいいですね。

*もうひとつの「かなし」*

こうして見ていくと、古代日本人は感情の機微にとても敏感だったのだな、と
あらためて思います。だからこそ、すぐれた作品が数多くあらわされたともいえますし。

「かなし」のお話は何かのおりにふれたかもしれませんが・・・
ここでもありました、漢字の「愛し」。現代ではなじみがうすいけれど、
常用漢字表外音訓」とはいえ「かなし」、なのです。

お読みになっていただければ一番良いのですが、私の言葉ではどれだけ伝わるか
不明なので、原文をそのまま引きます。
日々の暮らしのなかでふと立ち止まって、心を見つめる一助になれば幸いです。

「いとしさ」と「かなしさ」は不即不離の関係です。愛しているからこその、せつなさ、かなしさ。そんな心を締めつけるかなしいほどのいとしさは、「愛し」と書いてこそ表現できるように思えます。

★記事引用の一冊 『漢字の気持ち』 高橋政巳 伊東ひとみ 著(新潮文庫

★秋の夜長に 『君はそれ以上~出逢い』 楪蒼朋 著(文芸社
 

  10月のカレンダーを見ると 時季の花にシオンとあり
  彼ら~異次元に生きる者たちのことが 頭をかすめた

  人は日々 何かと闘うことを宿命づけられる
  根本にあるのは 自己との葛藤なのだろう

  救いは容易にもたらされるものではない それでも
  絶望するにはまだ 早すぎる

  そらが白む その直前が最も暗いのだという
  たとえ闇に閉ざされる時間が永いのだとしても
  光の微笑みが降りる そのときを待つ