ちいさな倖せ

師走です☆

この時期になると、お掃除や片付けが気になるかた、または実際に
どどーっと取りかかるかたもおられると思います。

思い切りは大事ですね、たしかに。

最近(?)はこれらの多くの効用を語るかた、本も増えてきました。
よく知られているのは「断捨離」かな?

わたしはこれ・・・ほぼどっかん!(大きくけつまずくこと:わたくし語)
・・・です、はい。

そうできればいいな、とは思うけれどへたすると
プレッシャーになりすぎて、落ち込みがはげしくなってしまうので。

性格的に完璧じゃないとダメ、みたいになっちゃって
動けなくなる人もいるんだろうな。

精神にもたらす効用というのは分かる気がします。
ただ、わたしも相当に時間を要してからそう感じてるから
なかなかすぱっと割り切れるものではない、と思いますね。

特に人間関係。

明らかに誠実さに欠けた問題行動でもあれば対処を考えることも
必要ですが、多くの場合はそこに人情もからむし相手のあることだから・・・
簡単にはいかないと思うのです。

利害だけで切ることができる人もいるだろうけど。

自然消滅とはちがうし、距離を置くというのも異なる。

わたしもずいぶん悩むことがあります。
自分の事情、相手の事情、話したほうがいいかな、迷惑かな、
いましんどいかな、無理してでも聞いたほうがいい?

・・・人によってはやめりゃいいじゃん、という意見かもしれない。
自己満足だといわれるかもしれない。でも・・・

相手がいやなら仕方ないとしても、
「100か0か」なんてできないよ、わたし。

大切なことはしっかりと見極めたいから、
じっくり時間をかけたいのです。

なので、片付けもちょっとずつ。
そうすることで心が少しずつほどけてきた感じです。

瀬戸内寂聴さんは、何でも捨てなさいというけれど、物のない時代に
育った者としてはうかつに捨ててしまえませんとおっしゃるし、
下重暁子さんは、人の持つ、ものへの「思い」に価値があると言われます。

物理的なものであればさっと捨てられても、
ものに「思い」がこもっていれば、そうそう捨てられないですよね。
何かの記念に買った、とかもらった、とか。
手作りのもの、贈られたもの・・・

ともだちが言っていました、
「何を贈られたかより、誰から贈られたか」
だと。

たとえば手紙や葉書、カードなどでも
大切な相手から贈られたものであるなら。

人が見ればただの紙束でも
その人にとってはかけがえのない宝物なのです。

前に、漢字の成り立ちの話をしましたが、
「幸」という漢字のルーツは、奴隷制度がまかり通っていた時代のことを
もとにしているのだそうです。
形から誰が見ても意味合いが分かるようにすると・・・
その意は拘束・服従・暴力・虐待などでがんじがらめにされる、
つまりそのような状態にないことが何よりである、ということ。

根本は意識していませんが、そこに「人」のついた
「倖」という字を書いてみました。

はっきりとイエスかノーかを決めなくてはならないこともある、
けれど人の意識の大半はその間の部分で揺れている・・・

人として幸せであるように

動くことができたり、大切なものをたいせつ、と感じることができたり。

そんなしあわせをかみしめて、生きてゆきたいです。

「潔いことばかりが良いのではないのです」
苦しみながらも続けていくことに「大丈夫」といってもらえた気がして、
本屋さんでみつけたこの言葉に泣きそうになりました・・・・・・