「利他」 人は人のために生きる

いつだったか、とあるドラマのなかで、家族を失って悲しみにうちひしがれている女性に
妻をなくした男性が自身をかさね、こんな話をしていました。

「人ってさ、自分のためには生きられないけど、
 誰かのため、だったら生きられるみたいなんだよね」

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物語の内容や科白などは詳しく憶えていないのですが、
たしか一人になって何もする気が起きなくなった人に、あるとき
困っている人のために何かを作りませんか?といったことを投げかけた
ことがはじまりだったのかな。

最初はたぶん、機械的に手を動かしてなんとなく、だったのが
そのうち無心になって取り組んで、やがてそのことが支えとなり
生活のリズムができていく、といったことだったと思います。

ふだんは何気なく暮らして、それ自体に意味をもつかどうかなんて
考えることってないですよね。けれど本当は、そのことがすでに広く
意味をもっているのです。

人のために、と意識することも大切だけど、自分の生活を自分らしく、
できることをする、そうすると家族はそれだけでも嬉しいことだし、
それぞれのできることをし、周囲の人にも何かしらの恩恵がある
ものだと。


たとえば・・・
何かを買う行為って、その品物にたずさわる人々の生活に直結してますよね。
それとおんなじ。
じかに感謝されたりすることがあってもなくても、物事はすべて循環し、
誰かが笑顔になれたり、誰かを笑顔にしたりしているのだから。

∞∞

私は信仰心があつい人間ではないし、高潔な精神の持ち主でもありません。
でも、ここまでいろんな要因で命拾いをしてきて、いま、生かされているのは
「ま~だまだ、なんかせにゃーなあ」
と、ご先祖さんやらほとけさまやら、みえないおっきな存在やらから
伝えられてるんかなあと。

精神のありよう、といった本がいろんな作家さんからも出されていますが、
自分としては課題と思っていたところ、ちょうど飛び込んできた広告。

それが、

「利他」 人は人のために生きる (小学館

瀬戸内寂聴さんの本を一冊は、とずっと思っていたし、
なんだかとても、これは今読んでおかなくてはという気持ちになり、
昨年末にばたばたと本屋さんで聞いて購入し、読了しました。

震災があったから、だけではなく、どこか息苦しさを感じていたり、
漠とした不安があったり、心が揺れていたり。
なかなか安定した感覚にはなれないかもしれないけど
こういう考えがあり、こんなふうに生きられたらいいかな?という
ヒントがこの本にはあるんじゃないかと思ってます。

もっと細かいところについても話したいので後日あらためて
この本について書くかも??・・・大事なことだからもう少しまとめたい・・・

もし、書かないとしても編集するか、別のかたちになるかもしれませんが、
それはそれとして読んでいただければ幸いです。

瀬戸内寂聴さんと稲盛和夫さんの対談形式ですから
読みやすいのではないかと思います。

寂聴さんの講話などに親しんでおられるかたは、お声やお姿を
想像しながら読むのも良いのでは?

稲盛さんってどんなお声なのでしょう・・・

・・・知らないのに、読んでるときは聴こえていた気もします。

お二人だからこその、すごく含蓄のあるお言葉、お話だと感じます。
ぜひお手元に。