ことばの違和感
ことば、とは本来生身の人間をあらわす、その
体温を帯びているものだと思うけれど、
何か上滑りしている言葉が多いように昨今は
感じます。
その場かぎりのもの、体裁をととのえるためのもの、
保身から出るもの・・・
言葉がないと困ることはあるとはいえ、表層だけに
終始してしまって、もったいない気持ちにもなったり。
そうそう本音や本心が出せないことも分かるし、
感情的になりすぎてもいけないことは承知している
のですが、もうすこし、活かせないかなあって。
自分自身もそれは七転八倒してます(笑)
∞∞
先日ふと、新聞のすみに
「絆」が「孤独」を奪う
とあって、なんだろう?と気になりました。
夕刊文化の、脚本家・山田太一さんのことば。
なんとなく、わかる気がしたんです。というか、
こんなふうに考えられていることに、ほっとした自分が
いた。前にも、これと似たようなことがありました。
記事に書いたか忘れちゃったけど、なぜだか
大勢を占める風潮や流れに乗れない自分はみえて
いて、どちらを否定することもできず・・・
つよい意見をいえる訳でもないですが、違っていても、
やれることはあるし生きていていいよね、と。
「『絆』などの表面的な言葉が広く使われているのが
気がかり」
「『絆は大事』という主張が『孤独』を選ぶ自由まで
奪ってしまうのは困る」
と山田さんは指摘する。
言葉は生き物だから、それをだいじに思って用いている
人もいることは否めない。ただ、もしその言葉の持つ
ニュアンスだけが先行してブームのように使っている
のだとしたら。
もともと絆という言葉はどちらかといえば、
果てしない束縛、拘束といった、切っても切れない
がちがちの関係をさすもの、だったらしい。
つまり・・・それを意識するなら、どんなことが起きても
ひるまないくらいの覚悟をどこかに保ってなきゃ
ならないんだろうね。
∞∞
浮かぶものはぽこぽこあるのですが、ことばにするには
難儀な事象なので、あらためて続きを書きますね。
どこまでやれるかわからないけれど・・・
引っかかりもあって、わずかでもきちんとかたちにしたい
ことだから。
間隔あいちゃったらごめんなさい(汗)
二月にはいって、雪が積もったりインフルエンザが
流行したりで冬の様相濃くなってきましたね。
しばらく寒さも続いていくと思いますが、
無理しすぎずに休めるときには休んだり、ときおり
息を抜いたりしながらしずかにおすごしくださいませ。
こちらは半冬眠(?)であっても、みなさまに
お越しいただけるようあけております。
気が向かれたときにでもお立ち寄りいただければ
幸いです。
にほんブログ村
☆僕のたからもの(iOS版)
http://www.creatorsworld.net/ebook/mc01750119/
☆君はそれ以上~出逢い
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-07035-3.jsp
じぶんをあらわす術がなくて 絵にしたり
色にしたりしてみた
すごい曲 弾けたわけじゃないけど
まんがの歌とか 奏でてみた
あるとき 手紙をしたためて
みえる風景を 文字にした
ものがたりをはじめた
そうしたものが 結晶したのが書物でした
面白がってくれたひと たのしんでくれたひと
みんながいたから
笑顔になってほしいひとがいるから
ほんのすこしでも なにかが届けば と
願っています
http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-d531.html
↑
『僕のたからもの』 Android版発売中
詳細は上の記事にて