“神様がついてこない”

「岩が砕けて石になり、石が砕けて砂になって、やがて砂が塵(ちり)になり、風に乗って飛散して消え去る。それが本来の意味の風化なんです。気が遠くなるような長い歳月をかけて起こるのです」




かつて時間の主人公だったはずの人間が、つねに追われる生活を
しながら、みな自分自身を見失っている、

そうして徐々に人間性を失っていく。

視えていると思っていたものまでがそうではなくなり、よほど意識
しなければ観えない、分からないことについて考えていたときに、
ある文言が目に留まった。

「神様がついてこない」


私は登山をしないので見聞きした範囲でしか知らないのだが、
ヒマラヤ登山のおりの、ポーター兼ガイドとして雇われる現地の
少数民族シェルパの話で。

登山者と一緒に山を登っている途中、突然その場に座り込む
ことがある、と。

そのまましばらく動かないので止まってしまった理由を問うと、

「あまり速すぎるので、神様がついてこない」

との答えが。


ここでは「神様」となっているけれど、本来あるはずの人間の
「魂」といえるだろうし、それぞれを守護している霊であったり、
ご先祖だったりするのかもしれない。

先を急ぎすぎて、しなくてもいい失敗をしてしまうことが
ないだろうか。

あのとき、ほんのちょっと立ち止まれば、それを見落とさずに
すんだのではないか・・・

 

日常のなかで、実は危険回避のサインは隠れていることがある。


“現代人はみな、自分の魂や心が、とても追いつけないようなスピードで生きてはいないだろうか。”

PHP新書 美 「見えないものをみる」ということ より

福原義春氏の著書です。

なんかしんどいな、と思うときのヒントになるんじゃないかな。




時折 自分自身がどこにいるのか
なにかが かみあわなくて
迷子になってしまうことがありませんか





いたみなく いきている人って いるのだろうか


いきる ということは 

苦しみや悲しみを 識る 営みであり

愛しさや哀しさを 経る 旅路


だから どんなにあらがっても忘れえぬことが

誰しもきっとあろう と


ふりはらうかのごとく 突き進む日々もあるかもしれない


けれど 魂を置き去りにし 

降りつもる雫から目をそむけて

いったい何をしようというのか



そんなに急いで どこへ行くのだ




器の中身は 満ちているかい





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「犠牲になった方々や遺族のみなさん、故郷を捨てざるをえなくなった人たちを忘れてはいけない。悲しみや苦しみを乗り越えようとして頑張っている人々を応援しないといけないと思います」

※太字の部分は日経新聞の記事から倉本聰さんのことば