映画を観ていて。。。
特に福山さんファンでも東野さん読者でもない私。
ただ何となく公開時に気にはなっていたので、
先日放送された「真夏の方程式」を観た。
・・・快適さや便利さ、利益を求めようとすれば
どこかにひずみが生じたり何かが犠牲になったり・・・
奇麗事だけでは暮らしていけないけれど、だからといって
なんでもありってことにはならなくて。
100か0か、白か黒か、だけで物事は見られず。
そのなかで歩み寄りや折り合いをつけることで着地点を
見出していくしかない・・・
だけど人間はどっちかに決めたがるからややこしいの
だろうね。
本編中の湯川さん(福山さんの役名)は、
選択の問題だといった。
二つの事象についてどちらの味方、どちらが良いという
のではなく、それぞれが互いをより理解しようとすることで
別の解を導き出す、それを選ぶことも可能になる、
といった意味かなと。
・・・書きながら、ふと、・・・この物語では人々に秘密があり、
そのことによって事件が発生し、過去の事件が浮かび上がって
くるのだけど・・・罪という点では過ちを犯した、正しくないことを
したのかもしれない、それでも渦中の人々の想い、愛情の面で
すべてが正しくないと言いきってしまうことはできない・・・
その結末さえも、各人の選んだ解の集約だったのかなって。
湯川さんは少年に言います。
これから生きていくなかで、容易に答えが導き出せない事象に
多く遭遇していくだろう、だが焦ることはない、自分自身が成長を
続けるかぎり、いつか答えに辿り着くことはできると・・・
(正しく意図をつかんでいない部分もあるでしょうが、おおよそ
こういう言葉、意味、だったんだろうと解釈してます)
ここでいう「答え」とは、正しいか正しくないか、ということよりも
そのことに対する自分なりの考え、想い、答えらしきもの、
何が自分にとっての「真実」なのか、ほんとうなのか、だからこそ
考えなくてはならない、人に、何かに委ねるのではなく、自身の
頭で、体で、心で。
子供が「嫌い」、だという湯川さんが少年に関わったのは、
直感としての何か、があったんだと思いますが、彼なりの「真実」
を伝えようとしていたんだと今は感じています。
たぶん、「答え」に辿り着く手がかりのようなもの。
「苦手」なんじゃなくて「嫌い」、なのかもと子供に対して思ったり、
大人、人間全体(つまりは自分自身も含めて)「嫌い」なのかと
自己嫌悪に陥ったりもした、たしかにそれも事実、といっても
100「嫌い」なのではなく、「好き」も含んだうえで行ったり来たり。
実際はそうやって何かしらの「答え」のようなものをその都度
とらえながら生きてきたのかもしれない。
好き嫌いを切り離して生きるのは難儀なことだろう。
たとえそうであっても。
・・・視ようによってはその人物は自身のともだちであり、
きょうだいであり、もうひとりのじぶんであり・・・
そこを踏まえながら成長を続けられたら、「答え」に辿り着けたら。
いろんなことを想った一週間でした。
とりとめのない文章でごめんなさい。
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「私はただ、この世界を護らなければならないという大義名分のために、彼らを巻き込んでしまっただけなのかもしれません。武士も翔も蒼一も、皆それぞれにさまざまな想いをかかえていたことも考えずに」
〈中略〉
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