道草するも また たのし

子どものころから よく行方不明になっていたときく

 

なにかに意識が向くと まわりがみえなくなるんだろうか

それでもたぶん 小さなうちは たのしさがまさっていたとおもう

 

 

大人になったら

こうしなくちゃいけない あれはダメ

間違うな みんなそうだ

そんなことするのは普通じゃない

 

常識という化け物にとらわれてしがみつこうとしたけれど

 

いつしか命の危険にさらされた

 

ずっと迷いっぱなしだったのかもしれない

ただ なんにもみえなくて右往左往するのと

どっちにいくのかぼんやりとでも手探りするのとでは異なる

 

このまま死んだように機械的に生きるのとだれかを想い続けながら

『人間』であろうとする 

 

 

壊れかけたカラダでじたばたしてココロが下した決断

 

あの瞬間

私は異次元に飛び込んだ

それまで良きものとされたすべてを覆して

 

 

もともとの自分ならやらなかったろう数多のことに首を突っ込んで今がある

 

文だって書けない 話せない メカにもうとい

苦手なことも多いし欠けている部分もありえないものも

 

なのに生きてる

 

 

他人がどう思うかじゃない 自分はどうなんだ 

誰かを気にして物事を選ぶのではなく

 

自身の道を どんな色で描くのか

どの方法で歩むのか 渡るのか 橋を架けるのか

 

迷うも決めるも倖せに繋げてゆければいい

 

 

 

いのちをみつめることも 自身や他者への “すき” も

 

はじまったばかりだ