みほとけの如くうつくしき

 

特撮の原点はゴジラだったと思う。はたしてきょうだいの影響だったのか、

それとも??どの時点か不明ながらゴジラを単にフィクションと捉えにくくなり

怪獣に対しても複雑なものをいだくように。

 

ウルトラマンは、いつの頃からか心象風景になじんでいた。

あんまり記憶ないけどぼんやりと、なんでウルトラマンは地球を守ってくれるのか、

とかピグモンみたいな怪獣さんもいるんだと、せつなくなってしまったことも…

 

感覚としてはウルトラマンって何処かにいる氣が。

(宇宙や銀河系で知られてない領域はまだまだあるんでひょっとしたらそういう存在

ありなんじゃないかと)

 

 

たしか『ウルトラマンガイア』が放送される前後って世紀末だからなんらかの

大きな変動があるんだとか言われてた時期だったんじゃなかったか

 

ガイア理論、というのか地球そのものをひとつの生命体としてとらえる、

そうした説や関連の本に、妙に引っ張られていた記憶があります。

 

作品とのであいも不思議な感触でしたね。

 

いくつかの偶然がなければ辿り着くことはなかった、凄く印象深い

一瞬が刻まれてたんだな、意識のずうっと奥底に。

 

 

ガイアが神様の名だというのもあったかと、何故か今まででいちばん

ウルトラマンが美しいと感じて……本来、ウルトラマン自体の表情が

変わることはないのにふとした刹那の風情に

 

地球のウルトラマンとしての人間の情感をまとう

 

かなしみが入り混じると観ずることが、時折ありました。

 

ウルトラマンを世に送り出した生みの親であるデザイナーさんの矜恃をみるような……

たしか如来さまや菩薩さまが意識の源にあるのですね。

 

どこかの特集記事を読んだとき、「そうか」と腑に落ちました。

 

 

傷つけずにすむのならそうしたい、けれどもそれではすまされない状況が発生したら。

 

 

ガイア世界ではウルトラマンがふたり、「どうして二人なのか?」と本編中でも

語られていた氣がしますが「一人倒れても、もう一人がいる」…この言葉を

耳にしたとき、やりきれない痛みが…ある部分ではそうなんだろう、頭では理解できる

だけど阿呆でも私はそうではなくて一人で背負いきれぬものを分かち合い、困難と

闘うためにふたりぶんのちからが必要だったのだと

 

葛藤のなか闘っていた我夢と藤宮、そして当時の自分自身。

 

そこに、『君はそれ以上』の時空が視えはじめていた、同時に存在がとらえられて

きていたのかもしれない

 


「灯」「花火のように」/吉岡 毅志

 

昔 作詞と作曲 したことあったけど あまりにしっくりこず

二度と手はつけまいと

 

話せなくなり 音もとれなくなり 読み書きもおぼつかなくなった

 

あれからどうやってここまできたのか

 

ことのは つかみだしてから ちょっぴり作詩もどき曲をつけたことがあった

全然うまくない でも たいせつな

 

音楽 きらいになれなかった理由のひとつに

吉岡毅志さんの存在が たぶん あった と

 

もうずいぶん前の出来事

 

はじめて 毅志さんの歌きいたときに 「えっ」とショックを受けて

 

その後も 自分自身の底にひろがる

暗い海にやはらかな光がさしてくるみたいに

 

時々 おなじものにふれてるのかな なんて

 

 

この先 自分が曲をつくるのかはわからない

ただ ことのはを通して 自身の深みを観照することで音楽へ繋がるなら

 

 

遠ざけてしまった魂にふれたい

 

つたなくても まっさらな私で

 

音を 色を

 

光を取り戻したい

 

 

 

毅志さんのライブに関われるときを祈りつつ

 

「お前、さ、……神様って、いると思うか?」
「えっ?」
「……大和さんが、言ってたんだ。オレとお前は、もともと〝ひとり〟だったんだ……って。けど、ひとりに全部背負わせるのはつらすぎる。だから神様が〝ふたり〟にしたんだって」
「でも、オレは……!」
「うれしかったんだぜ、オレ。その話聞いてさ……オレが生きてる意味、ちゃんとあるんだ……って……」
 必死に、想いを伝えようとする。
「……お前ひとりに、しょわせらんねぇよ」

  『君はそれ以上~出逢い』  存在理由

🌷手を繋ぎ 命を繋ぐ

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◎本プロジェクト商品の売上金の20%は「日本赤十字社」に寄付されます

 


演劇緊急支援プロジェクト

 

 

☆演じる といえども 真(心)がなければ意味がない

 生身の人間だからこそ成立する時空 刹那にすべては凝縮され

 同じ呼吸は二度とない

 ・・・自分のことをのぞかれてるみたいに怖くなったことが何度もある、
 なのに観たあとにはぼろぼろだったはずの自己が少しずつ再生していて
 もうちょっとがんばれるかもしれん、なんて感じてた。重い体を引きずって
 まで行こうと思える舞台、これがなくなったら自身の一部が損傷したのと
 変わらない・・・

 わたしは おかげでことのはを摑んだから

gaiatwindragon.hatenadiary.jp

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ひとつの魂を見送って、自己のルーツにおもいを馳せる。

 

おじやおばも 戦争が影を落とす時代でなかったら

もうすこし生きられたのかな

 

 

であうことのないまま逝ってしまった命

 

その魂の未来に私は生きている。

 

「お前はどうするんだ」
〝もうここにはいられない。でも、翔と武士のことはずっと見てるよ。……だから〟
 決して忘れない、意識は『消滅』してしまったとしても。
〝ふたりのこと、大事にしてね。……あたしには、護れないから〟
 その『声』がとぎれると同時に、はらはらと何かが落ちてくる。
 ……それは季節はずれの、桜の花びら。
 安息の地へ、旅立っていったのだろうか。
「……生まれかわって、また会えるさ」

  『君はそれ以上』より  ひとりじゃない