神仏は天地人とともに
ご神託、いわゆる読み解きで何を用いるのか、いろんな手法がありますよね。
さまざまにオラクルカードを使ってリーディングを公開したり開示されたり
するかたもおられるし、あくまで自分自身に問いかける意図のかたも。
個人で制作されて取り扱っているカードも含めるとかなりの数になりそうですが…
わたしはといえば。
どちらかというと後者、あまりなじませるまでいってなくて
徐々にふれて対話できたらいいな、と。
選ぶの、意外と大変です。
人気どころのシリーズも試してはみたものの、直観的に違う、と感じた通り
手放すことに。
大きさ、絵柄、形、・・・なんだろう、理由はそれぞれで異なるんだけど
綺麗すぎてもかわいすぎてもだめなのか、生々しい?色使いとかも苦手・・・
ひとの美意識やどんなものを可愛いとおもうのかなんかもちがってきますね。
結局、抽象画のほうがいいんかそれとも(不明)
こちらの神仏カードはしばらく前から氣になっていました。
どことなくいままで観てきたカードと一線を画すように感じられたので。
しかしながら、ある程度「使える」ひとを対象にしていると読めたため立ち止まる。
そうして、自分しだいか、と思い直しつつ。
このまま入手しないのも悔いがのこりそうなんで・・・
さて、どうする?
書きながら考えてたんですけど、ご神託とすると
おみくじのとらえかたに似てるのかなって。
昔は書かれた内容に一喜一憂してるとこあった、今は。
毎分毎秒運氣と呼ばれるものが動いてるならこの瞬間の中身で決まる訳じゃない。
通過点ととらえて前を向く、あるいは土台にその内容があるとして色々な道や
展開があって然るべき、なので、そこから先は自身で創造(想像)していける。
つまりはカードも、作ったかたの意識が別のところにあったとして
読み取る、詠み顕すのはそれを手にする、視(観)ようとするひとの数だけ
あっていい。
(もちろん、カードについての講座・講習などで深く掘り下げるのもありだと)
信仰において神道と仏教の関係、どんなだろうと漠然としてるから深さを識る
手掛かりになればと思っています。知っているとはいえない、それでも近くに
感じだしているのは確かですし。
人間も自然の一部だから…その意味では神仏もすべてで繋がっている…
霊感あるとかじゃなくても、じいちゃんばあちゃんたち(ご先祖さん)のエネルギー
届くことあるよねって、たまにわけもなく破顔しちゃうわたしです( ´艸`)
神も鬼も 視えない 観ようとしなければ氣づけない
光のない時空で望みをうしないながら なおも求めたもの
人を 遠ざけてしまうことはできなかった
みえないけれど こころって たしかにあるよね
ほんとうの想いは もしかしたら誰にもわからないのかもしれない
だけど いまある この氣持ちをなかったことにはできないから
いつわらずに命をいきる 手立てを探り
祈りをことのはへ託しものがたりにしました
わたしのかたち 自己をあらわす 最期の砦
もしもなにか質問などありましたら右隅の水仙のアイコンよりお入りください💐
よろしくお願いします。
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☆演じる といえども 真(心)がなければ意味がない
生身の人間だからこそ成立する時空 刹那にすべては凝縮され
同じ呼吸は二度とない
・・・自分のことをのぞかれてるみたいに怖くなったことが何度もある、
なのに観たあとにはぼろぼろだったはずの自己が少しずつ再生していて
もうちょっとがんばれるかもしれん、なんて感じてた。重い体を引きずって
まで行こうと思える舞台、これがなくなったら自身の一部が損傷したのと
変わらない・・・
わたしは おかげでことのはを摑んだから
∞『僕のたからもの』 IOS版∞
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「大きくて、あたたかい手。・・・・・・貴方はこの手で愛しいひとたちを包みこむことができる」
『君はそれ以上~出逢い』より
まもられている あなたの手は きっとだれかをまもってる