分身(わけみたま)としての物語
「大きくて、あたたかい手。・・・・・・貴方はこの手で愛しいひとたちを包みこむことができる」
その声は、私のなかで響いていました。内側の声かもしれないし、外側の、別次元からのもの、だったのかも……声にならない誰かのおもいが届いた氣がして。
自分なんてちっぽけでなんにもできないと思ってた、だとしても自身にとって大切なひとに伝えたい氣持ちがある、ことばにならない深さだったり広さだったりをどうにかして。そこから先へ届けられることがあるなら。
話すのも書くのも凄く苦手、いまだに得意だ、とはいえません。
昔より、形にこだわらなくなっただけ。
ととのえないといけんかなとか流れるようでないとあかんのか?とか。
はなす、でいうと理路整然(が好ましい)、支離滅裂じゃなくするっと
フレーズが出る、しかしながら実際はつっかえる、適切な言語が出ずに狼狽するんで。
かく時も同じく出るにまかせてあとから消したり加えたり直したりでいいんかって。
物語は……つくろうとしたというより呼びかけに反応したといったほうがたぶん、
精確。「語らされた」もしくは「口伝」、意識するしないにかかわらず音声として
降ろされる、感触、そうしたことは過去になく。
どうしても、観えてる光景を伝えたかった、これだけはどんなことがあっても
譲れないと祈りながら。
不器用でいろんな表現ができなくて氣持ちに素直になろうとしたときに、
視えないエネルギーが発動して顕してくれたのがものがたり、だったみたい。
口数が少ないのと、ほんとうに声が出ない、話せないこととは全く違っていて一時期とてもつらかったです、文字を読んだり書いたりもできず、息が止まってしまいそうで。
分かりやすい、いくつかは失ってしまったけれど大切なもの、大好きなひとはなくしてなかったな…視えなくてもいつも一緒に歩いてた。
「誰もが皆、『自分』と戦っている。・・・・・・だが時にはひとりではなく〝誰か〟と共にあることを望んでも良いのではないか?」
近くにいなくても、やりとりが多くはないとしても、
自分自身にとってかけがえのない存在であることに変わりはない。
ごめんなさい、ありがとう、大好きだよ…
さまざまな魂をのせて飛ばしたことのはの花束を貴方へ
ものがたりの時空が より多くのかたに拓(ひら)かれてゆくことを
「ここは、みんなの還る場処なんです」
はらえたまえ きよめたまえ
まもりたまえ さきわえたまえ
☆紫色文字は『君はそれ以上~出逢い』からの引用
◎質問その他メッセージなどありましたら、右隅の水仙のアイコンよりお願いします
(お時間をいただくこともあるかと存じますが、できるかぎりお返事します)
🌷手を繋ぎ 命を繋ぐ
◎本プロジェクト商品の売上金の20%は「日本赤十字社」に寄付されます
☆演じる といえども 真(心)がなければ意味がない
生身の人間だからこそ成立する時空 刹那にすべては凝縮され
同じ呼吸は二度とない
・・・自分のことをのぞかれてるみたいに怖くなったことが何度もある、
なのに観たあとにはぼろぼろだったはずの自己が少しずつ再生していて
もうちょっとがんばれるかもしれん、なんて感じてた。重い体を引きずって
まで行こうと思える舞台、これがなくなったら自身の一部が損傷したのと
変わらない・・・
わたしは おかげでことのはを摑んだから