旋律は語り・そして祈り

作曲家の三木たかしさんが他界されました。
がんによって声を失い、闘病生活をされていたとのこと・・・

はっきりと三木さんの曲だと知っているものはあまりないのですが、おそらく多くの曲を送り出してらっしゃるのでそうとは知らず、耳にしているものは少なくないと思います。

特集番組をみていると、ジャンルとしては実に幅広く活躍されていたことがわかります。

天才的だといわれる人には生まれ持った資質は無関係だとは言いませんが、みんな最初からそうだった訳ではありません。
その資質に気づく人がいたり、支援する人がいたり。
そして何より、本人が小さなことを積み重ね続けてやっとかたちになっていくものだと思うのです。
三木さんも、そうした側面をもっていらしたのだと。

環境も状況も異なるのですが、「声を失う」経験は私にもありましたのでほんのわずかながら、その苦しみは理解できます。
三木さんは旋律で、私は文字で。・・・そうして“語る”

曲にしても詩にしても、生み出すのはたやすくはありません。
ごくまれに苦もなく紡ぎ出す人もいますが、ほとんどはそれまでのさまざまな蓄積のなかから掘り起こされるもの。
歌であっても同じです。殊に、旋律と言葉の融合を必要とする歌の場合はそれらがかみあわなければならないぶん、むずかしさもあるのではないでしょうか。

聞くところによると、歌では詩が先行であることが多いのだそうです。
ちらっと経験しましたが、どちらにしても私には難儀で。
時折、曲が先行することがあるとのことで、三木さんに関して興味深かったのは、作詞家の阿久悠さんも話してらした、石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色

この歌は三木さんから届いた曲に阿久さんが詩をつけたそうですが・・・
演歌だと場所を移動してゆくものも多く、通常は文脈的にすごく行をとるのですが、この曲は特徴的な始まりのため数行で遠距離を移動することが可能だった、と(上野から青森まで)。
曲を聴いたときには当然そうしたことは意識になかったので、それってかなりすごいことなんじゃ・・・といまになってあらためて感じています。
そうしてみると、この『津軽海峡・冬景色』が印象深いのは曲と詩がしっかり結びついたことの証なんじゃないだろうか、と。あまり演歌はなじみはないのですが、この歌は好きで、上手くはないけれど歌ってみたいなと思っている一曲です。

時代は移り変わって、いろんなものがあふれています。
それぞれの好みや必要性が異なるのは自然で、それは良いと思います。
ただ・・・時々いわれるように、世代を超えて歌える“うた”が失われているのはすこしさびしいかな。唱歌とか童謡とか、音楽の授業ってどんなふうになっているのかわからないけど、たくさんじゃなくてもいい、こういう歌があるんだよって伝えていってもらえたらなあと。
想像するちからって、そうしたところから生まれると思うんです。

ジャンルがちがっても、かたちが異なっても、旋律を通して三木さんも伝えたいことがいっぱいあったのだという気がしています。

苦しみ・悩み・痛み・悲しみ・・・
揺れ動く気持ちのなかですこしでもやわらぐ、しずまる、
あなただけの一曲があることを切に願っています。