〝迷惑をかけることをおそれるな〟
伊集院静さんに続いて
山田太一さんが旅立った
誰しもこの世界からいつかは去るとわかっている
ただ 伊集院さんが逝って その現実が未だ
受けとめきれておらず 整理のつかないなかでの山田さんの訃報
これを書こうかどうしようか迷いつつ
氣持ちとしてのこしておこうと つらつら
報道番組で山田太一さんの作品のいくつかが映像で紹介され
そのなかに 障碍をもつひとへ また 取り巻く社会へのメッセージともとれる物語が
今よりずっと 障碍に対する認識がなされていない
知見や理解も不足している そんな時代の
〝迷惑をかけることをおそれるな〟
とは本編中のせりふ 障碍のあるひとにもふつうに買い物に行きたかったり
きれいな景色をみたかったり の日常があるわけで
たまたますぐさまそうした行動に出られない事情のために閉じ込められてしまう
でも ほんとうは このせりふ
障碍のあるなしに関係なく 誰にでもあてはまる
「誰の世話にもならない」というフレーズがあるけど
考えたら無理だって わかるよね
この世に生を享けて 赤ん坊だったらだれかに抱っこされたり
ごはんもらったりしないと危険回避できないし 生命維持もままならない
大きくなっても 食べるとか眠るとか
道具や場所を必要とする それをつくってくれるひとがいる
いまここに存在する自分は 常にだれかの「世話になって」活かされているのであって
迷惑かけたりかけられたりをくりかえしながら
日々を営んでいる だから このせりふが生きてくるんだと
山田さんは
勇ましい人よりも 欠点のあるひとが好きだと
おっしゃっていた 時代からすると眉をひそめられるような
だとしても そういう 純粋さみたいなものを描きたい
人間の多数の思考が偏ってしまうことを危惧し なおかつ
奇麗ごとだけですべては成り立ちはしないと警鐘を鳴らし続ける
厳しさもありながら 根っこには
国だとか世間だとかによって弱い立場に追いやられたひとたちへの
ふかくて ひろい おもい 温かさがあったのだと
世代として たくさんの作品にふれることはなかったけれど
時折であう物語において ひそかに 自身の杖のごとく
どこかで拠り所となっていたのかな
📖『羊の目』は 単行本で読んだのでした なにかしらの引力を。。。再び文庫で
手にすることが あるかもしれない
生きていくってそんなにカッコいいことばかりじゃない。でも、〝生きてる〟って
それだけでもすごいことなんだと思う。人はひとりでは生きてはいけない。カッコ
悪い自分、弱さとかもろさとかそういった部分をさらけ出せる相手がいることがと
ても大切で、何より幸せなことだと感じています
『僕のたからもの』 ラストメッセージ
なにかが欠けてしまった感触をぬぐえない
視えない違和を かたちにする術をしらぬまま