海ならずたたへる
水の底までも
清き心は
月ぞ照らさむ
菅原 道真公 御歌
いつの頃からか、この歌がどこかにのこっていて
ずっと気になっている。
・・・そう感じていたら、年明けにふたたび。
呼んでしまったろうか?
それでも嬉しくて。
道真公といえば“東風吹かば”・・・の歌が有名だろうか。
梅の花が慕って飛び梅となった、との話。
浪漫があっていいな。
実際、梅の精っていそうな気も。
観えたらそれもおもむきがあっていいかもしれない。
歳を重ねるせいもあるのか(笑)、
梅の花が好きである。
桜には桜のはなやかさがあって好きなのだけど、
いろんなことを重ねてみる時に浮かぶ心象は
梅が多い。
昔は梅が詠まれた歌も多かったそう。
一応、日本史とってたりもしたわりにはとんと詳しくは
ないのだが、何故だか道真公には縁があるようで。
これ、どっかで話したかもしれないけれど、たまたま
興味もってみた本に道真公の子孫がかかわってたり。
文字や書体にも関心が向いていて、そこに篆書があったのだ。
その書物によれば、梅の篆書について
梅 木と毎から成る。
毎 母(豊饒の意)と草木が伸びて出て来るかたちが
合一したもの。草木が盛んに成長するの意と大きいの
意がある。
大きい木。酸っぱい実のなる木。
とあり、悪魔をしりぞける霊験あらたかな文字とのこと。
飛び梅が道真公を守護していると観ることもできるか。
どことなく母性を象徴するようにも??
字体が似ているので海も観てみると
こちらは水と毎からなり、同様に
豊饒の意から大きな豊かな水をあらわす
ものとされる。
何気なく目を向けてみると、どちらもはじまりを示すというか、
起源といったふうがある。
私は、大地にしかと根をはって!と感じるときに梅の木を
想っているのかもしれない。・・・なんというか、花の風情とか
木の構え、文字通り『氣』がまえのようなものがどっしりしていて
たおやかさ、凛々しさを感じるのだな・・・
だから好きなのだろうけど。
本日、立春ということで、見える部分はまだ冬もよう、
しかしじんわりと、風や香りのなかに春の気配も
漂いはじめそうである。
久しぶりに篆書の本を見つめて・・・
心を鎮めたいときの一案で、やはりこちらも活用したいと。
いま、どんな願いを抱いているだろうか?
それによって、観る篆書も選んでみてほしい。
やわらかなしあわせの訪れを祈って
参考:『氣をよぶ字』(紫翠会出版)・『心で観る字60』(オーエス出版社)