職業(もしくは職種)やら肩書やらというのはある意味、自分をあらわすものになる訳ですが。・・・といっても、全部分かるってものではないし、耳慣れないものもありますね。
表しようがないときは、つくる・・・?
私はカタカナ読むのがめっぽう苦手なもので、漢字のみじかいものでと思ってますが・・・
作家というと=小説家を指す、と最近知りまして「あ、そーなの?」
いえ、人によりけりだとは思うんです。書く人を総括して“作家”だと思ってましたので、ふうん・・・という感じで。
著述業、文筆家といった文言も見かけますね。
どんな業界でもランクがある、というのは分かります。一流とか二流とか、いわゆる階級のようなものですね。
書く人についていえば・・・小説家やその周辺の人にもあてはまることだと思います。
どうしてそういう話なのかというと、新聞記事を見ていて複雑な心境になったから。
作品や作家についてのブームもしかり、なのですが~まあ、そうした意見も必要とは思う~なんとなく、上から見下されてる感じがあるんです。ブームにのってなけりゃ変な奴だといわれそうだし、のっかりゃのっかるで軽い、とさげすまれる。
物事について論じることは大切なことだけど、「~じゃないのはおかしい」と断じるのはいかがなものでしょうか。そもそも好みや感覚というのは数値で立証できるようなものではないし、同じものに対しても快・不快は分かれます。それを「このレベルまで引き上げろ」と強要するような話になってしまうとせっかく関心が向きそうになっている人まで遠ざけてしまうんじゃないだろうかと。
・・・小説はフィクションですが、現代であってもそんなに軽くはないですよ。
身近にとらえるかどうかのちがいはあるでしょうが、リアルに感じながらそれをよりどころにしている人もいると思うんです。読み手もさまざまなのですから。
いろんな問題を感じるのは致し方ないことですが、あおったりあおられたり・・・といったところがどうも極端なんじゃないかなあ、という気はします。人ってどうしても「みんなが」・「一般的には」ってとこに反応しちゃうから・・・
仮にそっからはじまっても最終的には「自分はどうなんだろう?」までもっていけるといいんですけどね。
肩書というのはたしかについてまわるものですが・・・それで人間の資質が決定されてしまう訳ではありません。たまに誤解してる人もいるけど。
ホントに偉い人や素敵な人はそういったことで威張ったり、振りかざしたりはしない。
ある種“宙ぶらりん”な奴がいうのも妙(?)ですが、小説であってもほかのものでもあんまりジャンルというものにこだわりはないので「何がいけない」っていうのは分からないな
本はその媒体が大好きですし、人が介在していることに嬉しさがいっぱい。
書物を読むこと自体、かなりの根気もいりますし・・・
とはいえ、特定のもののみが文学である、とするような論調って音楽でいうところの「クラシックじゃなければ音楽じゃない」(・・・いまどきそんな暴論をする人がいるか不明ですが)っぽい主張にちかいんでしょうか??
活字を追うことすら難儀になっていた人間としては、何を読むかより活字が読める、追えることが至上の幸福ですからどれを読むべきだ、なんて恐ろしくていえません。
ごくまれに、関心がありそうなひと、面白がってくれそうなひとに「こういう本があります、いかがですか?」と投げかける。
それが入り口になったらいいな、と願うただの本好きです。
この夏は、どんな本を読みましたか?