いろんな道がある
世代とか、時代、ときくと、なんだかすごく、
歴史的なものに感じるな。
じぶんが幼かったころは、そこに自身が含まれる
という感覚がまったくなかったけれど(笑)
さかのぼって何年、という時間が次第にながくなり、
それだけのときを生きてきたことの不思議さをおもう。
今年のはじめ、中島みゆきさんのコンサートで
『時代』を耳にしたとき、なぜか泣きそうになった。
わたしが聴いていたのは薬師丸ひろ子さんが歌っていた
もので、みゆきさんの歌では初めてだったのだけど、
・・・この場処に来ることさえありえなかったよな・・・
ふと、そう思ったんだ。
昔のじぶんならそうしなかった、はなからあきらめてたろうと。
単に知識や方法を知るようになったからじゃなく。
動けることも、動く対象がそんなふうにできてしまうことも、
想像さえしなかった。
生きていたのに、たしかにいたはずの世界、なのに
なんだかずっと違うところにいたような、というより、
いまこの瞬間ここにいることが、別次元のように・・・
みゆきさんはこの世界のひとですが、
崇拝というのも変だけど、うーん、言語化するには
不可解なかた、でしょか??いえ、みゆきさんがどう
ということではなくて、わたしから見た場合の、だね。
なんていえばいいのかわからん(汗)
でもたぶん、かなりすきですな、ほっほっほ♪
自分自身についてもずいぶん悩み迷いいまだにぐるぐる
やるけど、・・・確信、核心に近付いていると感じること、
それは、思っているほどどうにもならないことは
ないのでは、と。
わたしのなかだけで話すから、そうは思えないことも
あるかもしれない。物事や状況にもよるだろう。
ただね、・・・わたしもこれまで全部おわりだ、だめなんだ、
って思ったこと、たくさんあった。
大したことないじゃないっていわれるのだとしても、
わたしには深刻なことだったんだ・・・それでも。
ほんのすこし何かが、誰かが、あるいはわたしが動いて
変わっていった。
じぶんが変わるってものすごくむつかしいと感じるかな?
あんまり意識しちゃうとしんどいけれど、・・・そう、まず・・・
変わらなくちゃいけない、という縛りをはずすとそこで
すでに変化は起きているよね。
変わらなくちゃっていうのは、まわりの影響で
入りこんでしまう思考だと思うんです。
こうしないといけないよ、こんなこといわれるよ、
みんなやってるし・・・
もちろん、ここは直したほうがいいな、というところは
じぶんで考えてみること。
習慣的にやってきていたり、親の言いつけその他で
やってはいけないとされてきてること、そうしたことから
抜け出すのはきついこともあるでしょう。けれど、
その方法しかないと思っていることでどんどんつらさが
ましてしまうのなら、少し異なる視点で見つめてみる。
ほんとうにそれしかない?
じぶんはこう思うけど、相談してみる?
こういうとき、みんなどうしてるんだろう、と
何かで調べる・・・
仕事だったり、立場だったり、さまざまな選択だったり。
ひとりに見えているせかいは広くはないから、
それしかないんだ、という地点からちょっと離れて
みてください。
ドラマの科白で
「幸せっていうのは人が決めるものじゃなく、
本人が決めるもの。幸せに優劣なんてないから、
それぞれの幸せのかたちがあっていいんじゃ
ないかな」
(正しくはない、じぶんの解釈もはいってますが)
というのがありました。
同じく
「人は、変わることができるんです」
・・・きのうはちょうど、セラピストさんとお話をしたので
わたしのこころの整理もかねて書いてみました。
生涯、そっと想いを抱いてゆくことも大切、
時が訪れたときに役目をおえたものを手放す、
それも必要。
あなたがかかえこんでしんどくなっていることはありませんか?
いきなり全部は無理でも、ひとつずつ。
降ろしてみる、捨てるのでもいい、
誰かに「とんとん」。
いっしょに持ってくれるかもしれないし、
分けてくれる、ほかの人に伝えてくれるかも。
近道ではなくても、手段はひとつではなく、
きっといろんな道があるよ。
偶然、とはいえ、久しぶりの薬師丸ひろ子さんの
歌がわたしの物語と同じタイトルだったのは
嬉しかったな(表記はちがうけれど)。
原案を書いたのが夏のおわりで、書籍になったのも
数年先の夏だったっけ。
夏はあまりすきじゃなかったけれど、いまは・・・
もうなんにも残ってない、と自暴自棄になってたのに
気がつくと泣きながらたいせつなひとを想っていました。
そこから生まれた物語です。