職人の集合体 ≪『君はそれ以上』格闘記≫ Ⅱ

2009年8月25日の記事で自著や本への想いをぽつぽつ書いたので、一応つづきのようなものを書いてみようかと。
・・・とはいえ、本のことといっても私にはものすごく広い世界の話になるんで少々じゃおわらない(笑)だから、本日は気力あるとこまで。

本って、見かけは紙のかたまり、ですよね。でも、紙にふれて、その厚みをたしかめられ、重さが伝わる。ひらけば言葉が飛び出して、語りかけ、空白や余白から気配が感じられたりもする。
それは、やはりたくさんの人の手を通ってきているから、だと思うんです。
もちろん、人によって読まれる、読まれないのちがいはあるでしょう。だけど、仮にそれを読まないという選択をするとしても本への敬意はもっていてほしいと思います。
時としてそれは人そのもの、もしくは命そのものであると感じるから。

『君はそれ以上~出逢い』(楪蒼朋 著 文芸社は再刊ではありますが、何もせず送り出したわけではありません。見直した上で変更なしということもあったでしょうが、原案を書いた時点→原稿用紙に書きおこす時点→校正・前回の出版時点から状況や心理面の変化によりそのままというわけにはいきませんでした。
その辺のお話も新しい担当のかたへかぎられた時間のなかでしたがしっかり伝えていき・・・それでもきりはないのですが。
よりよいものにしてゆきたい、というのは本にたずさわるすべてのひとの共通の想いなのではないでしょうか。
(無論、本とはかぎりません。音楽でも映像でも演劇でも、何かを創っていこうとするときには不可欠なもの、ということ)

編集段階についていえば、前回とは違った部分での質問を受けました。
しかし・・・こちらも知らなかったのですが、「これって辞書にも載ってんだ・・・」と驚き。
読まれたかたはお気づきかもしれませんが、作中で鉱物名がちらほら登場します。これに関して私が参考にしたのは別の書籍でしたので。
ちなみに私が鉱石・鉱物の関連で好きな空間が原宿にございます。たぶん、マニアックなかたならご存じかな・・・?コスモスペースというお店。詳しい人であればもっといっぱい知ってますよね。

言葉は万能ではない、と常々痛感するのですがそうはいってもどうにかして「これ」とか「こういう感じ」というものを伝達しなくては、というときがあり・・・今回それで苦しみました。

・・・結果は?

実際に手にしてみてください。・・・カバーのイメージをどうあらわせばいいか、かなり悩んだんです。当然ながら編集のかたもデザイナーさんも私という人間を知らない訳で、白紙のなかに色をおとしこんで彩りを描写していくというか・・・それを「言葉」で、しかも別の人間同士だから映るものは異なるものをぎりぎりのラインでぶれを少なくおさえられるのが理想・・・ここで摩訶不思議な現象が起きました。

ぞっとするくらいみえないものがみえた、伝わった、と

そうして生まれた、一冊。

“そーゆー奴がひとりくらいいたっていいじゃん”
・・・たまにへこんだとき、何処からか声がきこえる気がします。