ひとり だけど ふたり

人って 友達や知り合いが多くいると 安心するらしい

たしかに いないのも寂しいだろうし
そうした気持ちも分からない訳じゃない

ただ じぶんの子どもだったころを振り返ると
人がいうほど 誰かにいてほしい感覚は
なかった気がする


いなきゃいけないとは 思わなかったのかな

なんでだろ


人があたりまえにしていることが あたりまえじゃなく
どうしてそんなふうにいられるのか
誰かといることができるのか分からなくて
大人の視点なら 態度能力とか
コミュニケーション力とかいわれるんだろうけど
それってやっぱり素質なんかがいるのかなって

じぶんはこんなものなんだと思ってた 

決して投げやりだったのでもなく
それならそれでもいい とへんなところで
悟ってたのかもしれない


大人になってからも 基本姿勢は変わらない
昔とちょっと違うのは 
いなきゃいけないとは思わないけれど
じぶんのほうからも 働きかけをするようになった
ということ

もちろん 多く友達がいたり知り合いがいたり
することは良いことなんだろうとも思ってる

といって あんまり無理にそうなろうとしなくても
いいんじゃないかって


考え方もさまざまだから 数で勝負する人もいれば
中身重視な場合もある


わたしは性格的に エネルギーを多くのほうに
向けることがむつかしい
それならすこしずつ 何人かのなかで
ゆっくり関係を築いていくほうが落ち着く 
どこかで気がついてた


不思議なもので ちからが入りすぎなかったせいか
友達はいた いてくれた その時々で
いろんなつながりで

時間とともに 会えなくなったり 音信不通に
なってしまったり 別れが気まずくなったり
うまくいかなかったりもしたけれど
たいていは たぶん たのしいことも あった



友達
 知り合い というのは
体感として分けているのかな
とはいえ それが両方で一致するとはかぎらない

価値観みたいなものも 違うだろう

それによって とてつもない哀しみに覆われて
押しつぶされそうになることがあったとしても
心はどうなのか

いっしょにいると 嬉しいひと
笑顔になれるひと
そこにいなくても ふいに浮かんでしまうひとや
気持ちが向いてしまう
そんなひとがいないだろうか



一般論
 だったり 世間の反応だったりは問題じゃない

じぶんにとって 相手がどんな存在なのか
大事なのは それだけ

わたしにもともだちはいる
仮に 相手からみて そうだと感じられないとしても
定義らしきものにあてはまらないとしても
何より たいせつな


人はどう思うかしらない 
でも かかわりが密になればなるほど生易しいものでは
なくなっていくのは自然
だから 好きも嫌いも苦手も含んだところの
何って枠にはめられない
かけがえのない存在になってゆくのじゃないかな


外見 わたしはひとりであっても
いまは ひとりじゃないって感じてる
すでに わたしのスペースに存在するだれかが 
いつも見守っている
そう思えてしかたがないから







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