ゆずりは -新生ー

あなたは 誰

 

どこから来たの

 

 

しらないことを たくさん抱え

 

あるとき わたしは

 

ゆずりは になった

 

 

なぜ その名 なのか

 

特にさがしたわけじゃなく

 

ふいにあらわれ

 

 

 

書き方 描き方

 

 

譲る 葉

 

弓の つる

 

波 や 流

 

 

あとになると

 

すべてに意思があり

 

 

うまれかわり

 

ながれをつくる

 

なみのおと いのち

 

的を射る

 

 

だからこその

 

ゆづるは

 

 

 

楪 の 確信

 

 

あお を 包んでいたかった

 

そうして

 

木々のたおやかさを

 

 

 

あい で あれるよう

 

 

 

 

いたみがあるから

 

きずがあるから

 

わかることがいっぱい

 

 

よわさも こわさも すてたくない

 

それは

 

かなしみをいきるじぶんを

 

なかったことにしてしまう

 

 

 

 

 

あなたに出逢うため

 

 

あなたと 愛を育むため

 

 

魂を

 

この地球で

 

さまざまに織りなし

 

ほほえみの未来へ向かうために

 

いのりと ともに

 

わたしはここにある

 

 

 

 

「お前、さ、・・・・・・神様って、いると思うか?」

「えっ?」

「・・・・・・大和さんが、言ってたんだ。オレとお前は、もともと“ひとり”だったんだ・・・・・・って。けど、ひとりに全部背負わせるのはつらすぎる。だから神様が“ふたり”にしたんだって」

「でも、オレは・・・・・・!」

「うれしかったんだぜ、オレ。その話聞いてさ・・・・・・オレが生きてる意味、ちゃんとあるんだ・・・・・・って・・・・・・」

 

  『君はそれ以上~出逢い』 存在理由 より

 

 

           あなたがいるから わたしがいる

 

 

 

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Φ ゆずりはの本 Φ

 

 ∞文芸社書籍情報 『君はそれ以上~出逢い』∞(詳細ページへ移ります)
 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-07035-3.jsp

 ∞『僕のたからもの』  IOS版∞
 http://www.creatorsworld.net/ebook/mc01750119/

 

 ∞変わらぬ想い∞

gaiatwindragon.hatenadiary.jp

 

 

 

 あなたの人生の何処かで、彼らといっしょに

 お会いできたら嬉しく思います。

 

 来てくださってありがとう。

 

 

 

 

ブログ村 こころの風景

 

~参考~ 

僕のたからもの

僕のたからもの

 

 ※こちらの紙書籍は在庫があります。よろしければおたずねください。

(記事右下の水仙のアイコンより)

 

 

 

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🌺2020年9月30日 いのちをいつくしむ🌺


骨髄バンク応援メッセージ動画 「ツナガル、イノチ。」

「・・・・・・泣くのは、恥ずかしいことじゃねぇよ」

喜怒哀楽 という感情があるのに

子供の頃はともかく 大人になるにつれ

立場や体裁が悪いと 泣くことは良しとされず

 

いつしか 「哀」の感情はどこかに

置き去りにされていく

 

 

人としてそれらは自然な感情であり感覚だから

「ある」こと自体を否定することはない

肝心なのは どう折り合っていくかであって

「ない」ものとして扱うことではなく

 

我慢が美徳 ということも違うと

 

 

 

かなしみは さまざまな想いをともなうものだと思う

 

 

 

苦しみ 悲しみ 痛み

辛さ 悔しさ 恐ろしさ

 

 

人であるがゆえの せつなさ

 

 

ことばにならないほどの

あらゆる情(おもい・こころ・たましい)がせめぎあう

 

 

 

 

それほどの感覚を抑えつけるのは

生きるうえで大きな傷痕をのこすだけ

 

 

誰かに知ってもらえるならそれでいい

誰にも知らせずならせめて自分は受けとめてほしい

 

 

 

 

泣けずにいるのはいたくてたまらない

 

 

 

 

 

無意識でもこぼれおちる涙を

 

 

そのかなしみを

 

 

 

どうか止めないで

 

 

 

 

 

 

 

その涙は生きている証であり 生きようとする意志

 

 

 

恥じることなんかない

 

 

 

 

∞以前、別のブログにて公開していた記事を、あらためてのせています∞

(タイトルは『君はそれ以上』本編中の一節です)

 

 

 

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2024年もよろしくお願いします🐉

ゆずりはです、ご無沙汰しております。

 

年が明け睦月から如月へ・・・

沈黙したまま来月に向かおうかともおもったのですが。

 

ちょっぴり書いておきたくてやって来ました。

 

いろいろと話したい事柄はあるものの、昨年秋よりうちのなかが落ちつかなくて

生活のパターンが大きく変わってきています。どうするのがいちばん良いか?

手探りの状態が続き、まあそれも変化する時季がやってきたのかなともとらえられ

るんじゃないかと(実際はどたばたおろおろゆらゆらしてますけど)

 

そんなこんなで先のことは不明としてもかなり変則的更新になりそうなんで

なんじゃこりゃ空間になるかもです🚀

 

記事がまとまってなかったりかたちに欠けが生じてたり。

 

お立ち寄りくださるかたには「どうにか生きてはいるのだな」と受けとめて

いただけたら。

 

 

冬本番はこれから、それぞれに抱えているものがあるとおもいます、

どうか心も体も大切に、無理なきようおすごしくださいね。

 

 

 

 

 

 


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使命・宿命・運命……さまざまないのちについて、おもうことが多くなり。

 

自身はいのちを活かすことができているのかな?と・・・

 

今は一日一日を生きるだけで精一杯、ただそれでもよりよきほうへ歩んでゆけるよう

書くことで自分を支えている感触があります。それがあったから、ここまで。

 

一文を書くにも難儀してたわたしが本をつくる、という(個人としては)

とんでもない事業に関わることになるとは想像もしなかったけれど、おかげで

視野もひろがったし、出版しなければであえなかった数多の出来事があった。

 

はじめの本の誕生から数えると、人であれば二十歳、ですね⭐

 

その間のことの記憶を辿れば昔なら絶対にできない、やらない物事ばかり、

引っ込み思案が土台にあるには違いないですし、その性分も内包していていい、

とはいえまだまだ……未知のじぶんが隠れてる、かも??

 

 

記事に、と考えてる題材もいくつかあるのでなんとか少しずつ書いていこうかと。

 

気長にお付き合い願えれば幸いです。

 

 

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「・・・オレかて強うなんかない。ただ、弱みを知られとうないだけや。けど、お前といると落ち着く。弱み知られてもええ思うてる。・・・お前はお前のままでいいんや」

           『僕のたからもの』  花火

 

 

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あなたの笑顔が わたしのいのちに

 

 

こんなにも 彩りや響きをくれるなんて

 

 

ただただ もう 感謝しかなくて

 

 

それ以上のことばが浮かばないんだよ

 

 

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〈2月8日 追記〉

〝迷惑をかけることをおそれるな〟

 

伊集院静さんに続いて

山田太一さんが旅立った

 

 

誰しもこの世界からいつかは去るとわかっている

ただ 伊集院さんが逝って その現実が未だ

受けとめきれておらず 整理のつかないなかでの山田さんの訃報

 

これを書こうかどうしようか迷いつつ

氣持ちとしてのこしておこうと つらつら

 

 

報道番組で山田太一さんの作品のいくつかが映像で紹介され

そのなかに 障碍をもつひとへ また 取り巻く社会へのメッセージともとれる物語が

 

今よりずっと 障碍に対する認識がなされていない 

知見や理解も不足している そんな時代の

 

〝迷惑をかけることをおそれるな〟

 

とは本編中のせりふ 障碍のあるひとにもふつうに買い物に行きたかったり

きれいな景色をみたかったり の日常があるわけで

たまたますぐさまそうした行動に出られない事情のために閉じ込められてしまう

 

でも ほんとうは このせりふ

障碍のあるなしに関係なく 誰にでもあてはまる

 

「誰の世話にもならない」というフレーズがあるけど

考えたら無理だって わかるよね 

この世に生を享けて 赤ん坊だったらだれかに抱っこされたり

ごはんもらったりしないと危険回避できないし 生命維持もままならない 

大きくなっても 食べるとか眠るとか

道具や場所を必要とする それをつくってくれるひとがいる

 

いまここに存在する自分は 常にだれかの「世話になって」活かされているのであって

 

迷惑かけたりかけられたりをくりかえしながら

日々を営んでいる だから このせりふが生きてくるんだと

 

 

山田さんは

勇ましい人よりも 欠点のあるひとが好きだと

おっしゃっていた 時代からすると眉をひそめられるような

だとしても そういう 純粋さみたいなものを描きたい

 

人間の多数の思考が偏ってしまうことを危惧し なおかつ

奇麗ごとだけですべては成り立ちはしないと警鐘を鳴らし続ける

 

厳しさもありながら 根っこには

国だとか世間だとかによって弱い立場に追いやられたひとたちへの

ふかくて ひろい おもい 温かさがあったのだと

 

 

世代として たくさんの作品にふれることはなかったけれど

時折であう物語において ひそかに 自身の杖のごとく

 

どこかで拠り所となっていたのかな

 

 

📖『羊の目』は 単行本で読んだのでした なにかしらの引力を。。。再び文庫で

手にすることが あるかもしれない

 

 生きていくってそんなにカッコいいことばかりじゃない。でも、〝生きてる〟って
 それだけでもすごいことなんだと思う。人はひとりでは生きてはいけない。カッコ
 悪い自分、弱さとかもろさとかそういった部分をさらけ出せる相手がいることがと
 ても大切で、何より幸せなことだと感じています

    『僕のたからもの』   ラストメッセージ

 

 

なにかが欠けてしまった感触をぬぐえない

 

 

 

 

視えない違和を かたちにする術をしらぬまま

 

 

 

 

 


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しんどいのは脳か心か体か

 家中でさまざまな不具合が発生して気持ちが落ちやすくなり、わたわた・ぐにょぐにょしています(汗)根っこ部分は、「もおなんもしたくなか~~!!」寸前であると(泣)

 

 

 人間だれしもなりたくて不健康になる訳じゃなく、少々メンテナンスがうまくいかなかっただけ、なんだけど実際調子狂うとお互いに微妙にいらいらしてくるので下手すると悪循環になり。

 もうちょっと優しくなりたいとは思う、思うんだよ、家人も大変だからできることはしようって、んでもそんなときにかぎって言わんでもいい余計なひとこと、しかも皮肉か!?ってなもんを投げる、がおー💣

 すいません、全然孝行してません、しようとしてもむつかしい、・・・自身のメンタル保とうとするだけで精一杯・・・ヤな奴やのうと感じることが多くなってる。

 

 

 年とるといろんな荷物(症状・葛藤・確執などなど)ふえますね。それらでがんじがらめになって息できない、なんとかしなきゃ!って時ほど思考がぐつぐつロクなこと浮かばないし自分人間失格かもと。だんだん身体の動かし方忘れてくみたいで。

 覆っているのは世間の常識?社会の刷り込み?先入観とか罪悪感とか。正直むちゃくちゃ疲れ果ててどうなんだろ、とだましだまし、ホンマにどこがどう感じてるのかさえあやしくなってきつつある、・・・さなかずっと迷ってた中野先生の本を数冊、取り寄せてみました。

 

 

⭐こちらの本は気になっていていずれ買うかな、どうしよ!?な本たち

 

 別に読んでみようか悩んだものも何冊かありましたが、内容として昇華できるか不明だったので色々探してみて、取り寄せたのはプレジデント社から直接の『引き寄せる脳 遠ざける脳』と『脳を整える』。

 

 きちんとした態勢はとれていないもののおおまかにページをめくり。・・・そういうことだったんだ、と安堵する部分も。精神の面での視点はいくらか意識しているけれどそれらを異なる場に中心を置くと・・・という観点で脳ってどんなもの??なお話しを伺いたく。

 近頃視野にはいるメッセージには共通項があるようで、まわりの騒々しさからいったん離れてしずかになってみる、自分自身はどう感じているのか、なにを望む?そうしてどのように対処するか。これ、7年くらい前から都度対応要求されてる感じですね、周囲がどうあろうと自己の軸をしっかり保つ。上手じゃなくても、失敗しても、どうにかこうにか動いていける、あまりにひどくて自己嫌悪だらけになりそうでもちょっと距離をおいたとこで「なんとかふみとどまってる自分」もわるくない、以前は真っ黒けな自身をさらしきれずにあーだこーだいうもんじゃないって禁じてた、でも生きてこうとするとうそばっかりでは呼吸もままならない、んで時には愚痴っぽくなったり弱音吐いたり。

 嫌われたくない、悪いヤツだと思われたくないのはたいていの人は同じ心理なんだろなって。しかしどっかで背負ってる荷物降ろさないとつぶれてしまうし持ってるもの減らさなきゃ次にいけない、自分自身がこわれてしまう前に。

 

 力の抜き方も、覚えていかないとね🐤心身がぱんぱんになってるとわからないことがほんのすこし、受けとめを変えてみるとなんとかなるかもしれない。

 

「つらい」「ひどい」と思ったら、
手遅れになる前にすぐ逃げてください。
戦わず、自分の命を最優先して
逃げることもまた勇気であり、
ちがうかたちの
戦いなのですから

『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社)

 

 

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💐花束を贈るように本をおくる

 

わたしは あなたに物語をおくりたかった


生きた証を


この時空にいさせてくれた あなたへの感謝と

祈りとともに

わたしは此処に在る

 

「オレが翔のこと認めなかったときだって翔は黙ってそばにいてくれた。オレのこと見すてなかった。……なのにオレには離れろって言う。世界なんて本当は関係ないんだ。オレにとっては翔のとなりにいられることのほうが大事なんだよ!!!」

      『君はそれ以上~出逢い』  時空のはざまで

 

 


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🦁獅子、をふと意識したときに大河ドラマのオープニングテーマが頭に。当時はおそらく大河観てました。この作品もじんわり好きだったと。菅原文太さんは味のある役者さんでしたし音楽に宇崎竜童さんが関わってましたから(山田太一さんが脚本を担当されてたとは把握できてなかったな📚嬉しいです)

 

 

 

お題「自分をちょっと好きになれたとき」

 

 

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君の側で

 

自分の命を意識したのはいつだったろう

 

 

 

「死」が 頭をかすめたときにはじめて だったのか

 

 

 

 

 

あれから幾度も

 

「死」は 追いかけてきたけれど

 

 

生かされた のか 運がよかった のか

 

 

深く考えることもなく

 

 

 

ほんとうに

 

「生きたい」 と願ったのは

 

たぶん

 

 

君に出逢ってからだった

 

 

 

 

 

変わった とも 変わらない とも

 

どちらにもとれる

 

 

 

ただ 違うのは

 

どれほど混沌のなかにあっても

 

静かなる海のようにひろがる

 

 

無限の宇宙が存在する

 

 

何処かに それをかんじている

 

 

 

正体さえつかみづらい次元

 

 

恐ろしさで逃げ出したくなることもある

 

 

けれど もしかしたら

 

君の存在が

 

僕の本質を

 

照らしてくれているのかもしれない

 

 

 

 

 

君は 何もしていない

 

 

しなくていい

 

 

ここにいるだけで 十分

 

 

僕はわがままでよくばりで

 

求めるものも多い

 

だけど それによって

 

君が泣いたり苦しんだりするのなら

 

 

僕はここにいられなくなる

 

 

 

 

 

 

自分にこんな やわらかい部分があるなんてしらなかった

 

 

 

どんなことがあっても

 

君の 近くで いきられる

 

遠くても いっしょに 歩いてゆける

 

道を 手探りで

 

 

 

 

 

君の微笑は僕をとてつもなく倖せにするんだ

 

 

 

 

もしも 生まれ変わりや 輪廻が

 

 

あるのだとしたら

 

 

二人で 如何なる軌跡を

 

 

描いてきたんだろう

 

 

 

 

 

 

これまでも これからも

 

 

 

たとえ

 

 

 

人でなくなっても

 

 

 

 

 

一輪の花

 

 

大樹の森

 

 

吹き抜ける風

 

 

 

 

 

 

姿を変え

 

 

 

未来永劫

 

 

 

 

 

 

笑顔でいよう


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本文は以前、別のブログに公開していた詩(うた)です。

とらえかたはさまざまだとおもいますが・・・なにかにかさなる、
だれかへの氣持ちをあらたにするなど感じていただけるものがありましたら。

 


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大切なひとと一緒にいきてゆけるよう 願いをこめて。。。





 

 

 

「お前、さ、……神様って、いると思うか?」

「えっ?」

「……大和さんが、言ってたんだ。オレとお前は、もともと〝ひとり〟だったんだ……って。けど、ひとりに全部背負わせるのはつらすぎる。だから 神様が〝ふたり〟にしたんだって」
「でも、オレは……!」
「うれしかったんだぜ、オレ。その話聞いてさ……オレが生きてる意味、ちゃんとあるんだ……って……」

       『君はそれ以上~出逢い』  存在理由

馬に縁結び

今週のお題「乗ったことがある動物」

 

 

 ある時点から馬に乗りたい……という願望があったらしく。

久しく忘れていたのだけどいろいろあって、心身の健康についてひょっとしたら

乗馬っていいんじゃないかって意識がのぼってきたころ、そういえば近所に馬事公苑

あったよね、と。調べてまもなくそちらを訪れました。

 

 見学、どうぞ~みたいに氣楽に接していただき、しばらくして「ちょっと乗ってみませんか?」とのお言葉。ちゃんとそばについてくださってほんとにちょこんと乗っけてもらう、感じ。……あ、視界が高くなって、おもしろい……このときは馬さん誘導してもらっての体験乗馬だったのでなんだかどきどきしながら騎乗を楽しんだ記憶があります。

 

 その後、別の乗馬クラブに一定期間、乗馬体験を申し込みました。こちらは少しずつ

いろんなことを覚えていって、段階をふむ、ある程度馬に指示を出して意思疎通を

はかるものでしたから小さいノートにメモをとったり。本格的になると無理がかかる

部分があるため中途撤退しましたが(笑)駈足まで、下手でもいいから進めたら

よかったかな??

 

 

 いずれにしても貴重な経験、させていただきました。ひとつ、夢も叶ったし

馬とコミュニケーションとれることでいくらか自信にもなった感触ありましたし。

大きな動物相手だから油断できないとこもあるけどもしかしたらこちらのよわってた

メンタルとかに反応してくれてた面もあったかも、なんて。みんな、とっても

可愛かった。

 

 家族にはびっくりされましたね。「え、馬!?」……まあたしかにでっかい、

ですよね、乗る時ひと苦労指示出ししゃんとしないと動いてくれません。

おっかなびっくりだとそれが伝わってしまい、馬も落ち着かない。そのぶん、

自分の出した指示通りの動きをしてくれたときのうれしさといったら(泣)

 

  馬って瞳がきれいでじっとみてたらぜんぶ見通されるみたいに。そうして、

姿が美しくあったかい。私がちいさかった頃、里帰りしていたおりの風景で覚えて

いるのは馬にふれたこと。たしか、馬を連れているおじさんがいたのです。すごく、

近づきたくて(こわいけど)そのようすを察したおじさんがさわってみるかい?と

促してくれた氣が……ちゃんとついてるから大丈夫だよということだったのかも。

そうっとお顔のあたりを撫でたら馬さんすうっと瞳を閉じて、とてもやさしい空氣で

つつんでくれたっけ。

 

 実はこのときより以前にも馬とのご縁があったのだと後々判明したのです。

そのせいなのかどうかはともかく、私のなかではかなり早い時期から馬への親しみが

あったものと。そういえばこの文書き始める直前にも生活上で馬さんの存在に

繋がっておりました💦

 

 

 そんなこんなで馬さん関連の記事をちょっぴりのっけてみます。

 

gaiatwindragon.hatenadiary.jp

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 『風のダドゥ』の上映はちらしで知ったとおもうのですが、役場だったか

どこかのホールだったか、で発見して馬にぐぐっと引っぱられ。そのときの精神状態も

あって主人公の少女のこと氣になったんだよな、自分とかさなる部分があると、胸が

いたくてせつなくて……

 

 記事を書いていたときには今よりもっとパソコンのこともインターネット事情も

疎かったので紹介方法も分からず情報も少ないですね。探してみたら予告動画と

おぼしきもの見つけたので。


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 この時だから伝わるなにかがあるかもしれない、これから観る方に関心を

もっていただけたら、馬についても愉しんでもらえたら幸いです。

 

 

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🐴面白かったのと愛らしすぎてぺたっ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

呼吸することのはと文字

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

あのころの自分には ブログなんて書けっこないと思ってた

 

当初 有名人とか著名なひと あと芸能人みたいなひとたちが書くもんだと

そういった人しか書けないって感じてたから

 

 

おまけに 勢いが 凄い

 

毎日どころか何時間 何分おきかで更新してる人も

今だったらほかの媒体で活動してる人も多そうだけど

とにかくブログが普及し始めた頃には到底 自身が関わる世界じゃないと観じてた

 

なのに何故?

 

 

たぶん・・・影響を受けたであろう お二人 

 

ある歌い手さんと 役者さん

 

おこがましいといえばそれまで どうしてだか無謀にも

ブログ開設しようとパソコンの前に座り 一歩を踏みだした

 

役者さんのブログには 時々おじゃましてコメントも投稿してたから

シンプルに インターネットという同じ空間にいたかった のかな

ひどく場違いな氣もしないではなかったですが

 

 

 

 

言葉に 絶望してしまった時もある

 

書いても 話しても届かない 理解されない状況が 感情が

そうなってはじめて言葉だけではどうにもならない物事があったのだと氣づく

 

同時にわたしはこれまで

どれだけの言葉に向き合い 発してきたのか

どれほどの言葉を呑みこみ 消失させてきたのか

 

そもそも自分のなかに言葉はきちんと吸収されていたんだろうか

 

 

がくぜんと した刹那

 

 

 

 

一文が書けない

そう 自覚したのはいつだったろう

 

書いても書いても何か違う

やがて その行為が苦痛となり避けるように

 

 

 

ほんとうの意味で 

『書く』 がなじんでくるのは

ずっとあとになってから

 

 

 

 

心身のバランスをくずし

危うさをはらむ状態にならなければ

物語を発見し 描くことがなければ

いま こうして 存在すらできなかった

 

インターネット上の自己をあらわす手段は色々

 

わたしにとってそれがブログだった

 

 

なにがなんだかわからないままに飛びこんで

 

ぽつりぽつり のそのそ

 

時に どぶんと沈み 浮かぶまで時間を要し

 

ぐじゃぐじゃ あがきもがき 泣き言

 

 

時代おくれ 

 

どんくさい 

 

たわけもの なんだとしても

 

続けることで

 

だれかがしってくれる

 

どこかで観ていてくれる

 

 

あなたへ 繋がるかもしれないと信じて

 

 

毎日じゃない 特別でもない 写真も使わない

それでも

 

ことのはにふれてこられなかったぶん

伝える 届ける なにより

制限をかけてがんじがらめにしてきた

自分自身をほどいてゆくために

 

 

 

 

 

まさかそれが現実になるとは想像もしない出版の湊へと辿り着けたのも

生きていくうえで必然だったのか

 

聴こえた 視えた あの時空

 

彼らの声を 異次元の音や 風景を伝えることは

ただの創造ではなく目前の世界がすべてだと思い込むことの恐ろしさを

視えない宇宙に横たわるものに氣づき 認識する役割を有しているのかもしれず

 

動きを追って記録をとっていたとき

わたしは確かに活かされていた

なにかに憑かれたように筆が導かれ

 

 

いのちのぜんぶをつかって物語を 経糸緯糸を織ってゆきました。。。

 

 

 

「かく」 「はなす」 は 登山や結界の要素をもち

 

こころの からだの一部

 

ご縁をいただいたかたへの感謝と

此処に来てくださるかたへの祈りとともに

 

湧き水 埋み火になれたら 倖せです

 

 

 

 

 

どんなにこわくても 遠ざけたくなっても 闇に覆われても

 

 

ささやかな愛を忘れずに

 

 

人間でいたい

 

 

 

ゆずりは こと 楪蒼朋

 

∞出版された書籍∞

 『僕のたからもの』2004年 『君はそれ以上~出会い』2005年

 (新風舎より)

 『君はそれ以上~出逢い』2009年(文芸社より)

 ☆2005年版に加筆修正のうえ再刊されたもの・タイトル一部変更