ゆずりはです、こんにちは。
なにかを書くことに関して得意なかたは、さらさら書けてしまうのかな?
そのなかでもいろんなタイプのかたがいるのだろうと思いながら・・・
個人的には苦手なんですが、書かなきゃいけない状況が発生して書いている現実、
・・・というのもコミュニケーション手段としてまずはちゃんと言葉にすることが
必須、なんですね。
あたりまえのこと、なんでしょうけど基本的に話し下手だった結果と
性格的に前に出られなかったこともあり、言語化そのものが課題としてのこり
大人になってしまったと。こうなると大事なことや肝心なことがまるっきり
伝えられない、いやだ、苦しい、しんどい、私はこうしたい、こう感じている
諸々の自己主張ができず自分がどんどん小さくなっていく、
しまいにゃ「私はどこにおるんじゃい!?」(泣)
“私のなかの子ども”・・・きっと大泣きだったろなって、
「ねぇ、わたしの声無視しないできいてよぉ」
とでもいうか。子どものころ泣き虫だったらしいですし。
そんなこんなであるとき暴発、家から出られなくなる、職場その他で奇妙な行動
とるようになるし頭はまわらない、社会適応むつかしくなる、失声、
心も体も動かない、自分と対話してこなかったツケがまわってきてしまった。
もっとはやくに、ね、いろんな対応できてたら違ったか、
しかし今にしておもえばその過程が重要だったのかもしれません。
出会うはずのないひとにも廻りあえた氣がしますから。
「書く」ことや「話す」ことについても、命そのものに繋がるんだと
つよく感じてきています。昔はわからなかった深みや奥行きが自分自身を
支えている・・・「描く」や「放す」へ展開していくみたいに。
みじかいからこそ視えるせかい
ながく紡ぐことで描ける宇宙
作品として多くはないですが、それぞれの特性、そのときの感性であったり
風情らしきものからことのはを掬い上げ、かたちにできたらと祈りつつ。
書きたいこと、色々あるんです。
ただ、氣持ちにことばが追いつかなくて、もんもんと。
少々環境変わる予定なので、もしかすると更新速度がさらにゆるやかになるやも。
その際、空白期間は
“ゆずりは只今ことのはの森散策中”の看板~そう 観ていただければ~
かかってるという訳で(笑)
ふうっと力を抜きたくなったときお立ち寄りください。
言葉に なんの力があるんだろうと 打ちのめされる日もある
だけどいつか
なにかに心震えたり
くるしみやかなしみのなかから一本の旗を掲げて
だれかに 熱を伝えたくなることがあるかもしれない
その時 みずからのことのはを探りあて 命をたしかめる
やはらかなぬくもりが魂にのこされ 織られてゆきますように
出逢ってくれて有り難う
光さす未来へ