自分の命も、ほかの命も
車の免許は、学生時代から取りたいと考えてました。・・・ただ、運動神経にぶかったら、適性がないっていわれたら・・・そんな不安はありました。
結局のところ、学校勤務と赴任先が決まった時点で車がないと生活も仕事もままならないと言われ、仕事をおぼえるのにもばたばた、出張も多いなか周囲の人の支えもあり、夜間自動車学校に通って半年をかけて免許を取得しました。
車を運転する、ということがどういうものかを切実に感じたのはこの後です。交通機関が発達していない場所では車を使うしかありません。故に出たり入ったりの多い仕事では一日職場にとどまることのほうが珍しく、生活面でもお店が近所になかったため、車で移動して回るしかありませんでした。まさに車にどっぷり、という訳です。
運転には神経をつかいます。何故なら自分の命を、また周囲の人の(あるいは、ほかの生き物の)命をしょって走っているようなものだからです。道路には無数の車がいます。自転車やバイクも走行しています。それらの情報が一気に視界に入ってくるのです。
昨今、飲酒運転が問題になっています。もちろん、やってはならないことです。私が思うのは、飲酒がどう、というよりも普通に運転していても事故は起きるという現実がありながら集中力や判断力を低下させるであろうアルコールをとったからだでハンドルを握る、ということがとてつもなく怖いのです。それによって自身のみならず、誰かを死に至らしめる確率が上がるということを知らないはずはないのに。車は、凶器に変わるんです。
乗らないわけにはいかないので、私も事故にかかわったこともあるし、恐ろしい目にも遭いました。命拾いもしました。以前ほど長時間・長距離の運転はしていませんが、それでもかなりのエネルギーを消耗するのです。知らないうちに蓄積された疲労でからだもこころもぼろぼろになりました。いくら仕事や生活のためであってもそれで命が危険にさらされたらなんにもなりません。まして周囲の人の命まで巻き込むようなことがあってはならないのです。
命について、気になる本を見つけました。年が明けたらしずかに見つめてみようと思います。
このいのちはひとつきり まもるのは、あなたなのですよ