walk on... 歩く、あるく、のしのし歩む

KinKiの最新アルバム六曲目より
(うしろにくっついてる尾ひれは心構えのようなもの)

お世話になっております、楪です。
この文字の表記はまだめずらしいほうになるのかな?
書き方はともかく、筆名定めたころ、ふしぎとこの名前に遭遇することが多かったのです。
表記は異なるけど、電話帳で調べるとご近所に「ゆずりは」さんがいると判明したときはそりゃ驚きました。

心理状態によるのか、少し前にテンプレート変えてみましたが。。。
ちょっぴり自分の原点にかえってる感じですね。

ちなみに楪は走るの遅いです。学校なんかだと走るの速い人ってスターですよね。
スポーツも得意とはいえないですが、わりと違う意味で(?)ちょこちょこぱたぱたしてます。・・・のせいか、唐突に消える・気配がわからない・いきなり現れる、などといわれることも(私ゃオバケかい??)。しかし何故か「走るの速いな」との言をもらったこともある・・・!?

『僕のたからもの』(2004年)という物語で自身の心象風景を映しているのかな?とふと思い至ったのは、本が生まれてずいぶん経ってからだった気がします。
もっとも、原案を書いていたときには「少し先には自分はもうこの世にはいないかもしれない」と感じてたから、思考する間もなかったのでしょう。本も、偶然の産物ではあったけれど・・・今考えるとあのときどうしてそんなことができたのか、よくわからないんですよ。

だから・・・みんながおなじように、そうなるとつよい言葉で伝えることはむつかしいけど、環境にとまどって苦しむ人も、天候に左右されて体調に難がある人も、ながい闘病生活をおくっている人も、誰もが何の問題もなく生きてる訳ではないし・・・きっとその状況もまったく変化がない、ということではないと思うんです。どこかですこしずつ、自力他力いろんなちからで動いている。

つきなみだと、思うかもしれませんが、とある科白をかりれば
「人は一人で生きてんじゃねえ。・・・想われて、支えられて、そうやって生きてんだ」
想われる、ということも優しさも、人によってあらわしかたが違います。
どんなに伝えようとしても伝わらないことも、あるかもしれないし、受け取る人が気づかないことも、あるかもしれない。でも、かたちはひとつじゃない、と知ってください。そして、届かないかもしれなくても、ほんとうに誰かが心に在るのなら、あなたなりの想いを育んでくださいね。

まるっきり技術なんぞないけど、バスケットボールは好きでした。
具合がよくないときでも試合がはじまると、自然にからだ動いてたしね。
物語描いてるときはほぼまっさらな状態にちかく、そのころの感覚がどっかではたらいてたと思う。・・・描くのやめると疲れがどっときてましたが・・・あとに感じたのは、ほんのすこしかもしれないけどあのとき、自分の立ち位置をつかむ大切さのようなものを無意識に刻んでいたのかな、と。

数え上げればきりがないくらいこりゃあかんのかな?と思うところはありますが、見方を変えれば「・・・ええかも?」と思えるところもあります。美輪明宏さんいはく、「大半の人はマル(○)の数え方が下手」なのだとか。
今日→明日→明後日と順に歩いていく、という基本は変えようはありません。
そのなかでどのように生きるのか。・・・よりていねいに、歩みを進めたい。

KinKiの曲も良い曲です。
歌うとなると詩がたたみかける感じなので、ちょっぴり発音しにくそうですが。
・・・舌かまないように(汗)

*Happy day*
影絵作家の藤城清治先生にお会いしました!
ひんぱんに作品展は行けないし、なかなかサイン会へも行けず・・・
ながかったですが、待ってたかいがありました。

これからも作品を楽しみにしております。
ありがとうございました。

銀河鉄道の夜』の藤城先生の影絵はとても綺麗です。
ようやく辿り着きました。