いのち あきらめない
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あきらめる、ことが必要なときはある。
しかし容易にあきらめてはならないこともある。
かつて私はあきらめてばかりだった。
こだわることはよくない、という見方もあるが、
あまりにも淡白すぎるのはどうだろう?
総じて熱さのない人間、だったから冷めている、
と思われても仕方ない。
それでも大事にしていない訳でも
どうでもいいと投げているのでもないのだ。
ただ、どうあらわせばいいのか分からないだけで。
もうすこし、こうしていれば・・・
それができずに悔やんだことが幾度あったろう?
ぼろぼろになって動かぬからだを横たえ、
こころすら壊れかけたことも一度や二度じゃない。
けれど私はここにいる。
自分の意志のみでなく、何かに生かされている?
理解不能なふしぎを感じて数十年がたつ。
2010年の私は、プラスやマイナスはどうあれ
変容を余儀なくされた。
耐えがたい痛みに自分自身どうなるか恐ろしく、
そんなおり、しばらく手にしていなかった
葉祥明さんの本を。
『いのち あきらめない』
根源を探るとしても
さまざまなアプローチ法があり、
次への道も、人によって異なる。
そして、伝える手法も・・・
私には葉さんのような伝え方は
むつかしいかもしれない。
けれど、伝えようとすることはできる。
そのために「書く」ことを選び、
ひとつの手段としてここに書いている。
くるしみやかなしみがあるのは、
生きている証だと観じた。
だからそれをゼロにはしがたい、とは思う。
だけどそれを和らげられるのは、
癒すことができるのは、
自分自身にほかならない。
人に寄り添うことで、
自然にゆだねることで、
時空にたゆたうことで。
選ぶのが自分でなければ意味がない。
人はどうしても結論を急いでしまうけど、
そんなに答えって簡単に出るかい?
テストの三択みたいにはいかないさ。
私も同じだ。
ぐるぐるわたわたやりながら、
ここまで来たのだから。
時が「今」とはちがう道へ
連れていくかもしれない、
異なる状況をもたらすかもしれない。
たしかに時流や時勢って
あるのやもしれんが
自分にとっての「その時」があるものだと、
近年は感じている。
正しいか正しくないか、
できるかできないか、
それは保証されるものじゃないが、
やらなければ確率なんぞあがりゃしない。
急ぐときほど深呼吸をしてみよう。
みんなが行くなら、ちょっぴりあまのじゃくになってみるのも
わるくない?
葉さんの言葉はたくさんの人が見ているだろう。
まだなら、これから読んでみてください。
私はこの場処と、物語でことばを伝えるしかないけれど、
よかったら読んでみてほしい。
『君はそれ以上~出逢い』(文芸社)は、大切なひとを、想いを、
描きながら織りなされた銀河だから・・・・・・
いのちは、自分のものであってそうではない領域も有する。
何より自分のために生き、同時に誰かのために。
決してつよくはない私だけど、なんとか、どうにか、
生き抜かなくてはならないと。
どうか、いそがないで
はやまらないで
いのちを、あきらめないで
いてほしい