はなすこと、ゆだねること・・・私にとっての=命あるいは祈り
しゃべれないこども
目立っていた訳でもなく
それでも なんらかの標的にされた
わたしがなにかしたのか
危害を加えただろうか
あとになって問いかけてみたけれど
結局 なんにも言えず
しだいに人間を恐れるようになっていき
どこかでびくびく おどおどする生活は 決して健康的とはいえなくて
幾度かの入院の後(のち)
紙とペンを必要としたのは
自身の 奥底にあった最期の叫び
そんなに自分をいつわってどうする
周囲に遠慮してばかりでどうなる
それが わたしの〝ものがたり〟のはじまりでした
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よかったらのぞいてみてください。
右隅の水仙のアイコンからご質問などどうぞ🌻
∞歩みを振り返る∞
まわりのひとたちはなんでこんなにはなせるんだろう?はなしたくてもなにを
しゃべればいいのか、わかりませんでした。半分は、声に対するコンプレックスも
あったかも(可愛い、きれいな声に憧れがあった)
作文も、読書感想文がらみで苦痛になっていって、原稿用紙をみるのがつらかった。
なので、書く意思をいだくことになるとは想像しなかったです。今も得意、だとは
言いにくいですけど書こうとする意識はある、といった感じでしょか??
はなすことについても同様で、克服よりは緩和なんだろなと。以前よりは
「なるようになる」発想で動きますし、肝心なことは対面だったり電話だったりで
確認する、地に足がついた感覚。たとえるなら演劇みたいなアドリブ全開(!?)
でもいっか、くらいの。
ブログも、ゆらぎを観じつつ続けています。お立ち寄りくださり、ありがとう
ございます。またお目にかかれましたら幸いに存じます。
時節柄どうぞ御身体を大切に
あなたの日々が笑顔いっぱいでありますよう🌈
今週のお題「苦手だったもの」
プランターの中に咲くヒマワリの花は、そっと寄り添うように風にゆれていた。
『僕のたからもの』 オルゴール